人は、綺麗なものが好きです。 Life Is Wonderful?、39 「あ、!」 「え?」 とりあえず、住む所があって、お隣さんと職場への挨拶もして。 大きなイベントはクリアしたと言える私だったけれど、しかし、新生活を始めるには、それだけでは不十分だった。 幾ら家具があると言っても、日用品や消耗品などは買い出しに行かなければ、どうにもならなかったのだ。 なので、近くのショッピングセンターで日常の細々としたものを買っていると、不意に元気な声に呼ばれた。 この街で知り合いなんて、一人か、せいぜい二、三人しかいない私だ。 その内一人は、まずこんな風に声をかけてくるような間柄ではないので、一瞬で相手がわかった。 というか、あんな元気一杯で無邪気な声を私は他に知らない。 「悟空?」 きょろきょろと、声の主を探して視線を彷徨わせるが、生憎、小柄で可愛い少年の姿は見えない。 ?確かに呼ばれたはずなのに? でも、流石に同じように大声で名前を呼ぶのは憚られるし……。 どうしたものかと思いつつ、未練がましく辺りを見回していると。 「こっちこっち!」 「わっ!」 背後から、ショルダーの紐が引っ張られた。 そんな心の準備がまるでなかったので、いきなりのことに驚く。 すると、私が声を上げたことに対して、それは申し訳なさそうな表情をした悟空がそこに立っていた。 「……びっくりしたー」 「あー、ごめん。脅かすつもりはなかったんだけど」 「大丈夫だよ。悟空も買い物?」 「ん?んーん。違う。俺は飯食いに来たの」 そう言って、悟空が指さしたのはショッピングモールでも食事処が集まる一郭の端だった。 「『天ちゃんらぁめん』?美味しいの?」 「おう!あ、やっべ、話してる場合じゃないんだった! 、早く早く!」 「ちょっ!悟空!?」 悟空は何を思い出したのか、私の手を引っ張って、慌ててラーメン屋さんへ踵を返した。 もしかしたら、もうすぐラーメンができるところだったんだろうか、と思いながらそれに付いていく。 が、しかし、目の前に広がっていたのは、私の想像を超える光景だった。 美味しそうに湯気を立てるラーメンが、そこにはあった。 セットらしく、同じく美味しそうな餃子も数個並んでいる。 それは良い。ラーメン屋さんなんだから、それは当然の光景と言える。 でも、 「うっし!あと10分!食べるぞー!」 「……これを10分で食べるの!?」 あまりの大きさに、私は目の錯覚かと思った。 だって、どんぶりは、普通のどんぶりが取り皿に見える位に大きく。 当然中身もたっぷり盛られたそれは、常人では見ただけで気持ち悪くなる程の量。 餃子も、普通のものの2倍、3倍……。 いわゆるチャレンジメニューが、悟空の前に並んでいたのである。 彼は早速、どんぶりに齧りつき、驚愕に目を見張る私に小首を傾げて見せた。 「ふぉうふぁふぇふぉ?(そうだけど?)」 「……私、チャレンジメニューって初めて見た」 茫然と、信じられない量のそれを見る。 これを?10分で? 幾らなんでも、それは無茶というものだろう、と思いながら、店内を見まわした。 そして、ほどなく目的のチラシを発見する。曰く、
……このお店、絶対タダにする気ないよね。 半ば以上の確信を持ってそう思う。 所々にある、ハートマーク付きの文章は、そんなはずはないのに悪意が滲み出ている気さえする。 悟空は大丈夫だろうか、とテーブルに目を戻す。 何しろ、私を呼ぶという時間ロスを彼はしてしまっている。 そんな状況で律義に声をかけなくても良いと思うのだけれど、もうやってしまったものは仕方がない。 私のせいでは全くないのだけれど、何となく罪悪感に襲われてしまう。 いくら食べるのが好きな彼でもこれは無理だろうから、少しお金を貸してあげた方が良いだろうか、と思ったのだ。 しかし、そこで本日二度目となる驚愕に私は襲われた。 「……もうそんなに食べたの!?」 「んぁ?ふぁふぉふぉーふぉっふぉふぁふぁふぁ、ふぉっふぉふぁっふぇふぇ。 (んぁ?あともーちょっとだから、ちょっと待ってて)」 さっきまで山となっていたラーメンが、気づけばあと1/4で終わりそうな位に減っていた。 もちろん、具もない。 あるのは、精々がスープがたっぷりと餃子が二つといったところだ。 ちなみに、悟空が食べ始めてから、5分程度しか経っていない。 常人ではありえない、その食べっぷりに店員さんも苦笑気味だ。 (……ここは店側としては苦笑するよりも驚きに目を見張る所じゃないかと思うんだけど。) そして、悟空はみるみる内にラーメンを完食し、やがてそれは満足そうに箸を置いた。 「あー!うまかった!ごちそーさま!!」 「……ええと、お粗末様でした?」 いや、私が作ったんじゃないんだけど、なんとなく。 なんと言って良いものか分からず、微妙な返事を返しながら、目の前の少年を見る。 一体、この細い体のどこにあれだけの量が消えたんだろう……。 激しい疑問に、彼に向けた視線がどうも探るようなものになってしまう。 しかし、悟空はそんな視線に気づかないのか、それとも慣れているのか、全く気にした風もない。 「ごめんな!、待たせちゃって」 「いや、全然待ってないけど……」 屈託なく笑った悟空は、そう言って私の手をとって歩き出した。 「え?」 「ここじゃあれだから、あっちのフードコートでアイスでも食いながら話そうぜ!」 「えぇ!?まだ食べるの!?」 「?おう!まだいけるゾ」 本日何度目になるかもう分からない驚愕の言葉に、半ば以上茫然となりながら、 私は「あそこのアイス美味いんだよなー」と楽しそうにしている悟空に引きずられ、その場をあとにした。 「でも偶然だよな!昨日の今日で会うなんて」 「そうだね。私もまさか悟空と会うなんて思ってなかったよ」 とても嬉しそうにしてくれている悟空。 しかし、それに対する私の心情は、残念ながら同じようなものではなかった。 もちろん、この可愛らしい少年に会えるのは、嬉しいことだと思う。 けれど、こんな風に不意打ち気味に会いたいかと訊かれると、そんなことはない。 なんというか……この子といると疲れるのだ。 こっちも元気にしてくれるような素敵な笑顔だし、良い子なのは分かっているのだけれど。 そんなものはお構いなしに、微妙な気分が持ち上がってくる……。 「俺も俺も。あ、そういえば会社どうだった?三蔵に訊いたんだけど、何も教えてくんなくてさー」 その言葉に、私の気分はさらに下降した。 悟空にそんな気がないことは分かり切っているのに、探られているような錯覚を覚えてしまう。 昔からそうだ。 私は内面に踏み込まれるのを極端に嫌う。恐れる。 だから、不躾に踏み込んでくるような人は……苦手。 だから、距離感の取り方の上手いや………… 不意に。 鮮烈な赤色が。 愛おしくも、狂おしい、鮮血の色が。 目に。 浮かんで。 離れなくて。 「…………っ」 私は手にしたスプーンを握りしめ、瞳を閉じることでそれに耐える。 私が食べているのはミントのアイスだ。 視界にそんな色はない! 赤なんて、ない! 込み上げる吐き気を、そんな風に必死に押し殺す。 するとそれは。 やがて。 固く閉じた瞼の。 闇に消えた。 そして、そんな私の様子に、三蔵さんへの不平不満を言い募る悟空は気づかなかったようだった。 悟空はただ会話の糸口を探しているだけだ、そう心に言い聞かせ、私は引き攣るように微笑んで、全てをごまかした。 「別に……普通だったよ?」 「えー?マジで?三蔵に怒鳴られたり睨まれたり叩かれたりしなかったか?大丈夫?」 「流石に初日でそんな事されないよー」 「……でも、ちょっと顔色悪ぃぞ?」 「え?」 ……流石に、顔色まではどうにもならなかったらしい。 その原因に思い当たるが、それは掛け値なしに悟空には関係のないことだったので、「そう?」と言うだけに留めた。 けれど、悟空はそれでごまかされてはくれなかったらしく、心配そうに眉根を寄せた。 「何か失敗でもした?」 「してないよ?」 輝く金晴眼が訝しげに細められる。 その目の意味を、私は知っている。 それは、私を心配するあまり、私の言葉を疑う人の、目だ。 嗚呼、面倒だなぁ……。 「んじゃあ、まだ具合悪ぃ?」 「自分ではよく分からないんだけど、そんなに顔色悪い?」 「んー……良くはないけど」 「……最近ちょっと夏バテみたいで」 苦し紛れに言った一言だったけれど、一応、悟空はそれで納得してくれたらしい。 人ごみに長くいるのは体に悪いと、早めに帰るよう私を促し、 もし良かったら送っていこうかとしきりに心配してくれた。 私は、しかし、それを丁重に断り、買い物を続ける。 用事はほとんど済んでいたのだけれど、そうしなければいけなかったのだ。 だって、これ以上一緒にいると……。 やがて、どうにか悟空を撒いて、私は女子トイレに入りこんだ。 「…………」 そして、ふっと嘆息して、不意に、何故自分が悟空に対して微妙な感情を抱いたかを悟る。 それは、当然と言ってもいいものだった。 寧ろ、何故最初に思い至らなかったのだろうと、訝しむほどに。 「あー……」 それは。 「そっか……」 きっと。 「良い子すぎて、駄目なんだ」 無垢への拒絶と自己嫌悪。 人は綺麗なものを汚したい、汚したくないと思います。 そして、自分と違うものに拒否反応を起こすのです。 ......to be continued
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