人が悪いことは知っていた。 Life Is Wonderful?、38 事前に取ってあったアポイントメントがあったので、私は悟空と出逢った翌々日、疲れた身体を無視して支社へと向かった。 支社の人事担当者――朱泱さんは、爽やかとはいかないまでも、酷く好ましい笑みを浮かべる気さくな人で、とりあえずほっと胸を撫で下ろす。 本社から支社に来たことに対する労いの言葉にも、社交辞令でなく、心が篭っていて。 おそらくやり手なのだろうな、と思えた。 こんな人だったら、多少不満の残る人事異動を言い渡されても、その不満を飲み込んでしまいそう。 「じゃあ、早速だが、アンタを支社長に紹介するか。今の時間ならアイツも起きてんだろ」 支社長相手に『アイツ』呼ばわり。 というか、起きるって……? 心の中ではそんな風に疑問を呈していたけれど、口に出すのは憚られた。 初めての職場で、下手なことを言って不興を買っても困るし。 なので、「はい」と従順に頷いて、私は先導する朱泱さんの後ろについていった。 すると、そんな私の様子に何かを感じたのか、朱泱さんは酷く心配そうに私の横に並んだ。 「アンタ、観世音社長の秘書だったって話だけど。本当か?」 「はい。社長の下で2年ほど働かせて頂きました」 多分、異動を希望しなければ、まだ傍に控えていたと思う。 破天荒な美女を思い浮かべながら、私はそんなことを考えた。 「あの社長の下で2年もったってのか?そうは見えないがねぇ……」 「……社長は確かに色々と無茶も言いますが、素晴らしい方だと思います」 言外に社長に対する酷評が見え隠れして、思わず私はそうフォローを入れてしまっていた。 社長には随分とお世話になっている。 確かに、適当だし、仕事はサボるし、基本は俺様だし、正直目付き悪いけれど。 こんな私を重用してくれて、その上、今回は随分な我侭をあっさり受け入れてくれた、懐の深い人だ。 感謝、しているから。 直後、驚きに目を瞠った朱泱さんに、しまったと思ったけれど、もう遅い。 さっき、不興を買わないようにしようと思ってたのに、もうこれだ。 こういう時、自分が嫌になる。 でも、我慢できなかったのだから、仕方がない。 が、自己嫌悪に陥る私に対して。 「ぷっ!っはは!」 朱泱さんは盛大に笑い出した。 「……あー、なるほど。これなら納得かもしれねぇな」 「あの……?」 「いや、こっちの話。うーん、これならアイツの下でもやっていけるかもしれねぇな。 流石に、社長直々の推薦だけある」 うんうん。と一人納得している朱泱さんだったけれど、私は納得なんてできる訳もなく。 どうして、そんな風に太鼓判を貰ったのかが、さっぱり分からない。 が、疑問符を浮かべる私に特に説明を加えてくれる気はないらしく、朱泱さんは機嫌よく歩き出してしまった。 先ほどと違い、心配そうな様子はもうない。 ほんの少しの間、どうしようかと悩んだけれど。 考えても仕方がないことは考えないに限る。 私は、彼の後を遅れないようについていくだけだった。 支社の中はまだ新しいからだろう、随分と綺麗で洗練された感じがした。 床を見ても塵一つない。 その様子から、これから逢う支社長はかなりのやり手であり、また、神経質なんだろうな、と思う。 会社というものは、上に立つ人間によってかなり様変わりするものだ。 例えば、無能な人間が社長になった場合、社内は荒れる。 空気はもちろん、目に見える場所も美しくはないのだ。 が、ここにはそんな気配は微塵もない。 目の届かないような、廊下の隅も、汚れがなく。 ところどころに据えられた観葉植物も、土が湿ってしっかりと管理されている。 社内の隅々まで、支社長の目が行き届いている証拠だった。 でも。 ちょっと綺麗過ぎる、かな? それこそが、支社長を神経質だろうと思った理由である。 大雑把だった観世音社長と違って、細かいところも気が抜けなさそうだな、と私は気を引き締めた。 「、ここが支社長室だ。ちょっと気難しい奴だが話が通じない訳じゃないから、面倒を見てやってくれ」 「……はい」 顔が緊張で少し強張る。 でも、そんな私に構ってくれるほど、人事担当者だって暇じゃない。 朱泱さんは、私に落ち着く間も与えずに、支社長室の扉をノックした。 「おーい。新しい秘書、連れてきたぞ」 そして、返事がないにも関わらず、彼はすぐに重厚な扉を開けてしまった。 背筋を伸ばして、私はそれに続く。 「失礼致します。来週からこちらで働かせて頂くことになりました、 と申し……ます……」 思わず、語尾が掻き消えるほどの小ささになった。 それほどの衝撃だった。 だって。 逆光でよく見えないけれど、あの、輝くような金の髪は…… 「支社長の玄奘 三蔵だ。ここでは泣こうが何をしようがこき使われると思え」 この前出逢った『さんぞう』さん、だった。 思わず絶句していると、朱泱さんはその反応を別のものとして受け取ったらしい。 「こいつに惚れると人生破滅するぞ」なんて場違いな忠告をしてくれた。 「くだらねぇこと言ってんじゃねぇ」 「くだらないとはなんだ。今まで何度オレがお前に惚れた奴を退職にせざるをえなくなったと思ってるんだ」 「元々見る目がなかったと思って諦めるんだな」 「……ホラ、こんな奴だ。くれぐれも見た目に騙されるなよ」 ぽんと気軽に私の肩を叩き、彼は支社長室をあとにした。 「「…………」」 が、私としては惚れる惚れないどころの問題ではない。 私、この前。 力いっぱい、この人に怒られたばかりなんですっ。 どうしようっ。 会社で逢うかもしれないとは思ってたけど。 けっこうなエリートだろうなとは思っていたけれど! まさか、この人が『支社長』だったなんて……っ 内心、私は絶叫をせんばかりに混乱していた。 でも、自分がこれから働くことになる会社のトップの名前を知らなかった私が、この場合は間抜けだったのだろう。 けれど、私にだって主張はある。 だって、観世音社長が! 社長がくれた、支社長のデータは全く別人のものだったのに! 社長と同じ黒髪で金色と空色のオッドアイをした、焔さんって人だったのに!! 間違いなく嵌められたことを悟り、私の顔色は紙の様に白くなった。 すると、支社長――三蔵さんは眉間の皺を深くする。 「何だ。手前ぇ、まさかオレが自分の上司だと気付いてなかったのか?」 「っ!」 ビクリと体が震える。 まさか、「そうです」とも言えない状況だったけれど、その反応で三蔵さんには十分だったらしい。 訝しげだった様子から、瞳が若干鋭くなった。 「……申し訳ありません」 その視線に耐え切れず、謝罪が口をつく。 すると、三蔵さんはつかつかと私の傍までやってきて。 グイっと無理矢理私の顔を上げさせた。 「手前ぇはオレに対しては謝ってばかりだな」 間近で見るその顔はあっと驚くほど美麗で。 息を呑むような迫力だった。 目を零れんばかりに見開いて、私としては固まることしかできない。 「……なんとか言ったらどうだ」 「……す、みません」 なんとかと言われても、これ以上の言葉はない。 「何故謝る」 「……いえ、その」 「あぁ?」 どうしよう。 これはちょっと泣きそう。 が、『泣いても何しても〜』とさっき言われたばかりだし、職場でいきなり泣く訳にもいかない。 私は、尻込みしそうになる自分を奮い立たせて、ガラの悪い上司と目を合わせた。 「先日、支社長に対して、失礼な発言をしてしまいましたので」 「…………」 「また、事前に支社長のお顔を存じていなかった件に関しましても、申し訳なく思っております」 観世音社長の謀は、ぐっと堪えることにした。 それは、言い訳だから。 社会人になったら、下手に言い訳なんてものをするべきではない。 そんなもの、相手には何の意味もないことだから。 と、そんな風に真摯に謝った私に対して、三蔵さんは。 「……馬鹿だな、手前ぇは」 と、にべもなかった。 が、とりあえず何がしかの効果はあったらしく、私は解放される運びとなった。 ようやく顎を下げることができて、ほっと安堵の息が漏れる。 ……ああ、心臓に悪かった。 「話はクソババァから聞いている。偽の情報が渡してあることもな」 「……っ!?」 「そのうえで、どう対応するかを見させてもらった」 「予想外の反応だったがな」とつまらなそうに言う三蔵さん。 つまり、これは変則的な入社試験のようなものだったのだろう。 納得はいかないけれど。 正直、ふざけないでほしいと思うけれど。 「これからは忙しくなる。今日はもう帰れ。 詳しいことは来週みっちり仕込んでやる」 どうも、合格できたようなので。 「宜しく、お願い致します」 嗚呼、新しい生活は大変そうだな、と先のことを私はまず考えなければならないようだった。 悪い人ではないことも、知っていた。 ......to be continued
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