時々、運命って言葉しか浮かばないような場面が人生にはある。 Life Is Wonderful?、36 陽だまりみたいに暖かな悟空と一緒に、ゆっくりとした足取りでマンションへと向かう。 必要以上に遅いその速度は、悟空が私を慮ってのものだった。 今時珍しいくらい良い子だなーと思う。 ともすれば、おせっかいと言い換えられるくらいのそれではあったけれど、今はありがたいと思う。 歩きながら、悟空は色々なことを一生懸命に私に話して聞かせた。 駅前のパン屋さんがやっぱり美味しいこと。 大学の食堂が安くて、量が多い事。 でも、『TOGEN』の社員食堂も、量は多くないが、とても美味しいこと。 一緒に住んでいる、『さんぞう』という人がおっかないこと。 基本的に食べることが好きなのだろう、その話題は基本が食べ物のことだった。 けれど、そこに混ざっていた、同居人の話。 どうも、その人が『TOGEN』で働いているらしかった。 最初は父親か何かかと思ったのだけれど、口ぶりからしてみると、どうもそうではないらしい。 では、兄弟なのかと思ったが、悟空はそれを嫌そうに否定した。 「うぇー。三蔵が兄弟って想像できねぇ」 「……えーと、そうなの?」 「あったりまえじゃん!三蔵はオレの後見人って奴。血は繋がってねぇよ」 「全然似てないから、見れば分かるけど」という悟空。 そこには特に悲壮感などはなく、ごく普通のことを言っている感じだった。 けれど、私の方がなんとなく勘ぐってしまいそうになる。 だから、そこにはあまり触れないことにした。 世の中には色々な事情を持った人がいるし。 深入りしても良い場合と、してはいけない場合と。しなくても問題のない場合があるのだ。 この場合は、多分一番最後だろう。 「三蔵ってさ、すっげぇ無愛想なの。だから誤解されやすいんだよなぁ」 「そうなの?」 「もう少し笑えば良いのにって会社でもよく言われてるらしいんだ。 ……でも、ここだけの話なんだけどさ。笑ってる三蔵なんてマジ怖いと思う、オレ」 「あはは。なに、それ?」 「マジだって!ホント、三蔵が満面の笑みとか浮かべてたら、夢に出そう」 身震いをさせながら、悟空はそう言った。 うーん。そこまで言われるその『さんぞう』って人がちょっと見てみたい気もする。 まぁ、同じ会社なら会う機会もあるよね。 『孫 さんぞう』なんて珍しい名前なんだから、きっとすぐ分かるだろう。 そうあっさりと結論付けたところで、悟空が「ここ」と足を止めた。 「ここが『プラザ桃源』。結構でっかいだろ」 「……結構って感じじゃないんだけど」 かろうじて、悟空にはそう返した。 思わず、見上げたマンションに口がポカンを開いてしまう。 目の前に聳え立つそれは、高さはさほどではないものの、明らかに高級であるのが分かる、それは小綺麗なところだった。 外観も名のあるデザイナーが手がけたかのようにオシャレで、どう考えても社宅という感じではない。断じてない。 正直、自分ひとりで来たら、私は何かの間違いだと決め付けたに違いない、そんな場所だった。 「……本当に、ここ?」 入り口にしっかりと『プラザ桃源』と書いてあるプレートがあるにも関わらず、訊いてしまう。 いや、だって。 これ社宅なんかに見えないじゃない。 が、悟空はその問いに訝しげな表情をするだけだった。 「嘘吐いてどうすんだよー」 「……うん。いや、そうなんだけど」 「?とにかく行こうゼ。って何号室行きたいんだ?」 「……えーと。702号室なんだけど」 「……それ、マジ?あそこ空いてるけど」 ますます、悟空の顔に疑問が踊る。 ここでは、何号室が開いていて、何号室が埋まっているとかまで住人は熟知しているのだろうか。 そんな風に思いながら、ここまでくれば隠すのもなんだし、と私は此処に引っ越してきたことを打ち明けた。 が、その後の悟空の反応は私の予想を遥かに超えるものだった。 「え、じゃあって今度から隣に住むのか!?」 「……え」 ……隣? 「うわー!びっくりした!え、じゃあ引越しそばとか食うの!?」 「……おそばは、ちょっとまだ分からないんだけど」 そこじゃないでしょう、と思いながら、今明らかにされた事実を確認する。 つまり、私はお隣さんの男の子に助けられたとか、そういうことなのだろうか。 ……え、なに、その偶然。 何だか、ちょっと出来過ぎた感のあるそれに、うまく頭が働かない。 が、悟空はいち早くその衝撃から立ち直ったらしく、一気に破顔した。 「へー!うっわ、ちょっとオレ嬉しいかも!」 「……そう?」 「そう!だって、これからにまた逢えるじゃん!」 年下好きが見たらコロリと落ちてしまいそうな、それは愛らしい笑みを浮かべて悟空はそう言った。 ……これは、きっと素で言ってるんだろうなぁ。 人によってはとんでもない殺し文句なんだけど。 悟空が言うと、言葉そのままの意味にしか聞こえないのが少し不思議だな、と思う。 殺し文句を殺し文句としてしか使わない人が、浮かびかけた。 そんなこんなで、私たちはエレベーターに乗って7階へ向かう。 悟空は驚きの事実にテンションが上がったのか、終始ご機嫌だ。 一瞬、自分の身体が上から押さえつけられる感じがして、エレベーターは上を目指した。 「なぁ、今日引越しってことは荷物とかもう来てんの?」 「?多分、一階の管理人室に届いてると思うけど」 「じゃあ、運ぶの大変だろ?オレ、暇だし手伝うよ」 「……いや、そこまでしてもらう訳にはいかないから、大丈夫だよ。エレベーターもあるし」 ここまで連れてきてもらっただけでも十分なのに、これ以上さらに面倒をかける訳にはいかない。 そう思っての発言だったけれど、悟空はもの凄く不服そうに口を尖らせた。 「えー?でも何回も往復するのって大変だと思うゾ」 「大丈夫大丈夫」 「だって、さっきまで顔真っ白だったじゃん」 「もう平気だから」 「それに、これから隣なんだろ?ご近所とは仲良くするもんだって、よく言うじゃんか」 「……あ、着いたみたいだよ」 なかなか引き下がらない悟空に、わざとらしく私は話題をそらした。 中々に、こういうのは難しいものだ。 あまり頑なに断り続けても角が立つし。 かといって、あっさり手伝わせたなんて知れたら、『隣の人間に引越しを手伝わせる女』というレッテルが貼られてしまう。 出来れば放っておいて欲しいところなんだけど……。 「無理そうだなぁ……」 「ん?なに?」 「え?あ、なんでもない」 ガラガラとキャリーバッグを引く悟空に先導されながら、私は7階に降り立った。 が、そこで私は思わず首を傾げた。 辿り着いたのは間違いなく、私が住むことになる7階だ。 それは良い。問題は、そこじゃない。 「ねぇ、悟空」 「何だ?」 「……どうして、この階、3部屋しかないの?」 どう考えても4つはドアがあるべきそこには、どう見ても3つのそれしか見当たらなかった。 奥の2つは、別に普通なのだ。 が、エレベーターから近い部屋2つ分の範囲にはドアが1つしかなかった。 正確にいえば、ドアが1つ潰されている。 何故そんなことが分かったのかといえば、本来ドアがあるべきところだけ、妙に真新しい壁になっているのだ。 嫌でも、そこは最初そんな姿をしていなかったんだろうな、と思えてしまう。 つまり、2つの部屋が入るべきところを、1つの部屋が占領しているように見えて仕方がない。 そして、その問いに悟空はごくあっさりと答えた。 「んー。前は4つあったんだけど、どうせ誰も住まないからって、三蔵が部屋繋げたから? でも、一階分全部はあっても無駄だから、奥のは手をつけなかったって言ってた」 「…………」 何それ、と思ったが、私はとりあえず無言になった。 一体、どこの世界に社宅を勝手に改造する人間がいるというのだろう。 ましてや、大手の会社で。 気にせず歩き出した悟空について歩きながら、私はマジマジとそのドアを見つめてしまう。 すなわち、『玄奘』というプレートが掲げられた701号室のドアを。 「……『玄奘』?」 この場合、ここにあるのは『孫』ってプレートじゃあ……と考えて、 そういえば悟空は『さんぞう』さんと血が繋がっていないのだという先ほどの会話を思い出す。 となると、その『さんぞう』という人は正しくは『孫 さんぞう』ではなく『玄奘 さんぞう』というのだろう。 ……なんだろう。どこかで聞いたことがある気がするんだけど。 後少しで、出てきそうで出てこない。 「?どうかしたか?」 「ああ、ううん。なんでもないよ」 大分先まで行ってしまった悟空に向かって軽く走り出しながら、私はその疑問を遥か後方へ置いてくることにした。 そのせいで、後で寿命の縮む想いをするとは夢にも思わずに。 とりあえず、今はその運命を受け入れよう。 ......to be continued
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