初めて。
誰かの為に神に祈る。






Life Is Wonderful?、26





ガシガシと清潔なタオルで髪を拭く。
髪の事を考えるのなら、ドライヤーでさっさと乾かした方が良いのだが。
二人を起こしてしまったら、救いようがない。


「あー、煙草吸いてぇ」


冷蔵庫から、ビールの缶を持ってきた俺は、そう呟きながらプルトップに手を掛ける。
もちろん、本気で吸いたい訳じゃねぇんだけど。

付き合ってた頃は、本数が減ってはいたが、完全に禁煙をした訳じゃなかった。
のいる前じゃなるべく吸わないようにしていたっていう、その程度。
けど、結婚してからは一本たりとも吸っていない。
妊娠してからなんて、ンな事言語道断って感じで、何も言われなくても吸うつもりなんて起きなかった。
口寂しくは、あった。
もう随分前からヘビースモーカーだった俺だ。
禁煙なんて、そう簡単な事じゃなかった。
でも。
愛の力って奴?は偉大でよ。
頑張っちゃった訳だ。
今では、まぁ、目の前に差し出されりゃ手が出るが。
わざわざ買いに行こうって気は起きなくなってきた。
煙草ってたっけぇしな、実際問題。

と、そんな事を考えながらビールをちびちび飲んでいると、その内、うつらうつらと眠気に襲われだした。
寝たらまずい、とは分かってんだけどよ。
分かってりゃ寝ないかっていうと、そうでもなくて。
頭をすっきりさせようと、数回振ったり悪あがきをしてみたが。
人間の三大欲求に勝てるはずもなく。
俺はテーブルに肘をついた状態で、心地よいまどろみに浸ってしまった。







がくり。
そんな効果音を立てて俺の肘はバランスを崩し、一気に意識が浮上した。


「あ……?」


少し決まり悪げに、時計を探して見ると、風呂をあがってから二時間以上が経過していた。
うわ、寝すぎじゃねぇ?
どうも、その間はの夜泣きもなかったらしい。
(あったら流石に起きてるだろうしな)

その事にほっと息を吐き出し、俺はそろそろ泣き出すはずの我が子のご機嫌を伺いに行った。


よく寝てんなー……


暑いのか、額に多少汗をかいてはいるが、はぐっすりとよく眠っているようだった。
多少なら触っても平気かと、俺は柔らかそうな頬を指で少しつつく。
想像通りの感触に、頬が少し緩む。
その肌は熱いと言って良いくらい、温かい。
反応はなかった。
どうも、本当に熟睡しているらしい。
その証拠に規則正しい呼吸が……

聞こえない。


……?」


その事に気づいた瞬間、俺はその小さな身体を急いで抱き上げ、耳を寄せる。
最近重みを増してきたそれは、ぐったりと筋肉が弛緩して。
いきなり加えられた衝撃にも、彼女は一向に目を覚まさない。

聞こえない。
きこえない。
キコエナイ……?


!?」


上ずった声をあげながら、すぐさま俺は彼女を揺さぶって呼びかける。
この時、首のあまり座っていない子どもを前後に揺さぶるのは危険だという知識くらいなら持っていたので。
細心の注意を払った。
けれど。


起きろ!」


嘘だろ、オイ。


「寝てんじゃねぇよ!起きろ!!」


こんな。
こんなに突然。

「冗談止めろよ!!」

何の前触れもなく、こんな風になるなんて。

っ!起きろ!救急車呼んでくれ!!」


何一つやっていない、こんなガキが。
こんな目にあって良いはずがない。


!」
――どうしたの悟浄!?」
っ!が息してねぇんだよ!早く救急車っ」
がっ!?」



だから、カミサマ頼むよ。


ー!!」









あの後、すぐ救急車を呼んで。
永遠とも思える長い時間、助けが来るのを待って。
突然、目の前が真っ暗闇になったような心境で、今、俺とは救急病院の待合室にいた。
真っ青な顔をしたの肩を抱いて、でも気の利いた事も言えず。
俺は重苦しい沈黙の中にいた。


「…………」
「…………」


本当に、何の前触れもなかったんだ。
昼間は、全然元気で。笑ってて。泣いてて。
数時間前には、普通に寝ていたはずなのに。
何で、だよ。
おかしいだろ、こんなん。
……。
…………。
たすけて、くれ。
助けてくれよ。
何だってやるから。
何だってやってみせるから。
俺が代わりに死んだって良いから。
こんなの、ねぇだろ。


助けろよ!


「……くっそ」


温度を感じさせない、暗くて白い病院の壁に、拳を打ち付けたくなる。
静けさが痛かった。
の出産の時の立会いとは全く違う、感覚。
あの時は、心配でたまらなくて。ハラハラだってしたけど。
でも、こんな風に冷たい氷の塊を無理やり飲み込んだような恐怖はなかった。
胸が、凍える。
必死に、大丈夫だと自分に言い聞かせるが。
怖い。
怖くてたまらなかった。


大丈夫、だよね……?


不意に、の震えた声が耳に届いた。
隣りの彼女を見れば、言葉も出ない。
痛々しい表情で。泣きたいのに泣けないような、そんな表情カオをして。
でも、気丈に娘の身を案じる、母の顔だ。
俺の腕にすがりつく指先は、血の気を失って酷く冷たい。


「大丈夫だよね?すぐ、良くなるよね……?」


その言葉に、俺は一瞬戸惑う。
正直、どういったら良いのか、分からなかった。
良くなって欲しい。
そんなん、当たり前だ。
こんな事があって良いはず、ない。
だから、助かるに決まってる。
いや、そうでなきゃならない・・・・・・・・・・
そう、だろ?

ぎゅっと、震えるの身体を強く抱きこんで、声を絞り出した。


「ったりめーだろ。あんな元気だったんだ」
「……うん」
「だから、大丈夫に決まってんだよ……」
「……うんっ」


随分、長い事そうしていた。
そうして祈っていれば、あの子が助かると、そう頑なに信じて。
お互いに崩れ落ちそうな身体を支えて、長い長い夜が明ける……。





そして、もう全ての感覚が麻痺しだした頃。
何時間も小さな赤ん坊の為に戦った、一人の年若い医師が手術室から現れた。
はじかれたように、と俺の視線がその人物を見つめた。


「…………っ」


しかし。
その表情カオは。


「……すまない」


苦渋に歪み。
痛みを堪え。


「助けられなかった……」


ささやかな祈りを打ち砕いた。





祈る事が無駄だとは知っていた。
でも、そうせずにはいられなかったんだ。






......to be continued



 ―作者のつぶやき―

SIDS(乳幼児突然死症候群)、という病気を皆さんはご存知でしょうか。
うつ伏せ寝や人工授乳がまずいとか。
生後一年未満(特に六ヶ月未満)で冬に多いだとか。
少しずつ、研究が進められていますが、いまだ原因不明とされる病気です。
現在でも、何人かの乳児がこの病気でこの世を去っています。
元JUDY AND MARYのヴォーカル、YUKIさんもこの病気でお子さんを亡くしておられます。
その他にも、大切な宝物を亡くした人々へ、ご冥福を祈って……。