日常はぬるま湯に漬かっているかのごとく、平和だ。 けれど。 その事に日常にいる間は気づく事がない。 Life Is Wonderful?、25 寒い雨の夜だったと思う。 こんなに寒いと雪になるかもしれないね、とが笑っていた……そんな、夜。 「さぁ、パパはお仕事だから『おやすみなさい』しようねー」 「あー?」 「良い子で寝てるんだぞー、v」 「うーv」 夕方、仕事に行こうとした俺を、育児休暇を貰ったがを抱きながら玄関まで送ってくれた。 は可愛い盛りの生後五ヶ月ってあたりで、少しずつ親に似てきた気がする。 髪の色はで、眼の色は俺、とか。 そういうのじゃなくて……なんてーの? こう、顔つきとか、そういう奴。 人見知りはまだない。 けど、人見知り激しい子どもだと、父親に対してだって泣くようになるらしいので、俺は最近少しビクビクしてたりする。 「じゃあ、いってらっしゃい。パパv」 「パパじゃなくて悟浄だろー?」 「くす。はいはい。傘忘れないでね。悟浄」 倖せそうに笑うに、眩しいものでも見るかのように眼を細める。 こういう何気ないシーンが、俺は結構好きだった。 覚えてない位昔に父親は母親と共に蒸発するし、親代わりに育ててくれた兄貴は忙しそうにしていて甘える事もできなかった。 普通の家庭なんて知らなかった。 だから、帰る場所があるっていう事に、泣きたくなる位の充足感を感じる……。 ここが、俺の場所だと。 そう思える生活が、ここには確かにあった。 そして、二人に別れのキスをして、俺は家を出た。 仕事が終わって夜中の何時か。 寄り道する事もなく俺は家路に着いた。 そっと灯された、玄関と居間の明かりに笑みを零し、物音を立てないように家に入る。 はもう寝てっかな。 は……? 「ただいまー……っと」 見れば、小柄な人影がテーブルに突っ伏していた。 ぬきあしさしあしで近づいて、そっと様子を伺ってみる。 「……すー」 「寝てん、な」 子どもを産む前より、少し面やつれしたかのような頬に手を伸ばす。 が、彼女を起こすのはしのびなくて、その手は空を切った。 ずっと、三時間おきで夜泣きとかがあって疲れてんだろうな。 ただでさえ、初産だってのに。 自分の親にも、住んでいる場所が遠いせいであまり頼りたがらなくて……。 「無理、すんなよ」 こういう時、何をどうしたら良いのか、男は本当に役に立たない。 まぁ、昼間は一緒に子育てを手伝っているが。 でも、夜泣きなんて自分のいない間の出来事だから……。 「ん……」 そんな事をつらつら考えていると、見つめる先のが僅かに身じろぎをした。 「悟浄……?」 「わり。起こしちまったな」 「ん……私寝ちゃってたね。お帰りなさい」 ごしごしと眼を擦るの手をやんわりと止める。 そんな風に擦ったら赤くなっちまうって言ってんだろうが。ったく。 「寝てて良いっつってんでしょうが。それに、ンなとこで寝てっと風邪引いちまうぞ」 「だって、やっぱり帰ってきた時にガランとしてたら、寂しいでしょう?」 苦笑して俺を見上げる彼女に、ああ、変わっていないな。と思う。 母親になっても、芯の部分はやっぱりだ。 何だか、このまっすぐな眼は俺を何だって見透かしているような気がする。 「そりゃあ、まぁ……」 「ね?心配しなくても、風邪なんか引かないから大丈夫」 「なぁーんで言い切れんのよ?」 「だって、赤ちゃんがいるのに風邪なんて引いてる余裕ないもの」 余裕があろうがなかろうが、引く時は引くと思うのだが。 でも、その一言には妙な説得力があった。 母は強しって奴? 「一時間位前に一回してたから……あと何時間かしたらあるんじゃないかな」 「そっか。じゃあ、俺が見てっからは寝てろよ」 「え?そんなの駄目……」 「良いから。最近寝不足だろ?」 「そうだけど……。でも、悟浄だってそんなに寝てる訳じゃないのに」 「俺は男だからいーの。明日仕事ねぇし」 「良くない。それに、お腹すかせて泣いたのなら、悟浄じゃどうしようもないじゃない」 「良いったら良いんだっつの。な?俺も子育て参加してぇんだって。 んでもって、八戒の野郎とかに『夜泣きが酷くてよー』とか自慢してぇのv それに、俺じゃどうにもならなかったら起こしに行くし」 「くすくす。何それ?」 笑うに、彼女が折れてくれた事を知る。 本人としても、多少は休まないと身体がもたない事を分かっているんだろう。 そして、俺達はリビングのベビーベッドの中でぐっすり眠っている愛娘の様子を見る。 どういう訳だか明るい所で寝れる、っていうか明るい所でしか寝ない、中々のつわものだ。 「あー……。やっぱすげぇ可愛いワ」 「そうだね」 こそこそと、声を抑えて二人で微笑みあう。 子どもは寝てると天使みてぇだってのは本当だな。 何やっても泣いてる時は、小悪魔みたいに思えっけど。 「じゃあ、おやすみなさい」 柔らかく微笑む愛しい妻の額に唇を落とすと、はゆっくりと寝室の方へと消えていった。 俺は、が寒くないように、彼女をしっかりと布団でくるみ直して伸びをする。 「さーてと。今の内に風呂でも入っかぁ」 + + + 「の、せいじゃない……」 ふっと、眼を開いた俺は思わずそう呟いていた。 三年前の事のはずなのに、いまだにあの時の事は鮮明に思い出される。 もっとも、への想いを思い出してから、と注釈が入るが。 蓋を閉めて、忘れたくなるような出来事だった。 生きてきた中で、最も忌まわしい記憶。 けれど、忘れられるはずも、忘れて良いはずもない記憶だ。 r> 「悪かったのは、全部俺だ……」 悲痛な、の泣き声が頭を駆け巡る。 あと数日で見つかるはずの彼女は、もう二度と俺の腕の中であんな風に泣く事はないのだろうか。 ――嫌ぁあぁああああああぁあぁー!! 日常が続くのは奇跡だと。 突然崩れた平穏に気づかされた。 ......to be continued
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