臆病な私。
醜い私。






Life Is Wonderful?、19





カタカタと、火に掛けられたやかんが揺れる音がする。


「なんか、一人じゃないってほっとする……」


少し自嘲気味に、零した呟き。

少し広めの部屋は、ゆったりとしていて楽だけれど。
でも、いつも誰かが立てる音に囲まれて生きてきた私には、少し静かすぎて。
小さな子どもみたいに取り乱した、さっきまでの私を思わず思い出した。
淋しいのも。
怖いのも独りだったから。
具合が悪くて、弱っていた心では、独りは酷く身に沁みる。

だから、今の空間は、とても好き。
いるのが悟浄さんだっていうのが、少し複雑だけど。


「早く、帰って貰わなきゃね」


でないと、風邪が移っちゃう……。
悟浄さんが帰ったら、何か胃に入れて薬を飲もう。
大丈夫。
もう寒くない。
もう私一人でも、大丈夫……。


「ひとりでも……」


その、不吉な言葉に一度小さく身震いをした。
そう、悟浄さんがいなくなったら、またここには私だけになる。
分かりきったことなのに、それが嫌だと思う私がいた。
でも、ここに居て欲しいなんて言えるはずがない。
そんな、迷惑なこと。
言ったらきっと、嫌われる。

そんな事をつらつらと考えていたら、また涙が浮かんできそうになった。

泣いたって、何も変わらない。
天井を見上げて、そんな冷めた事を思う。
泣いて、何かが変わる訳ない。
ただ頭が痛くなるだけ。
だったら泣かない方が、ずっと良いでしょう?
我慢、とは違う。
ただ、泣かない事もできるから、そっちを選んだだけ。
私は、そんなに泣き虫じゃない。
そんなに弱い人間じゃない。
だって、そうじゃないと。



やってられないもの。



だから、大丈夫。

でも、そんな風に軽く涙をやり過ごそうとしていた私に、コトン、と小さな音が届いた。
あ、悟浄さんが戻ってきたんだ。
そう思って振り向くと、悟浄さんは私の名前を呼んだ。





チャンづけじゃない事は、後から気付いた。
そんなのはとても些細な事だったから。
その時、私は悟浄さんの表情があまりに哀しそうで、思わず息を呑んでしまっていた。
あまりに、心配そうだったから、驚く。
また、この表情カオだ。
……どうして?

そして、続けられた悟浄さんの一言が、私の心に沁みこんだ。



――大丈夫だ。



それは、私が心の中で唱える『大丈夫』とは少し違って。
上手く言えないけど。
強がって言う『大丈夫』じゃなくて。
強がらなくて良いよっていう『大丈夫』に似てて。

そう思うと。
そう思ってしまった途端。

一気に涙が溢れた。


「え、あ……?」


抑える間もなく、流れた涙。


「ごめ、ごめんなさっ。私……っ。なんでもないんです」


恥ずかしくなった。
こんな姿、誰かに見られたくなんてなかったのに。


「あれっ。止まんな……」


悟浄さんに、見られたくなかったのに。


「きっと眼に何か………っ」


どうにか言い訳をしようとするけれど。
それが全然言い訳にすらなっていないのは分かりきっていて。


「入っ……だ、けで……」


悟浄さんの顔が直視できない。
きっと呆れられてる。
きっと変な女だって思われてる。

私は自己嫌悪で、更に涙が溢れてきたのを必死に拭った。
でも、そんなのは無駄な抵抗で。
涙は止まらない。

でも、意地になって涙を拭い続けていたら。
ふっと、包み込まれる感覚がした。
そう。私は気がつけば悟浄さんにそっと抱きしめられていた。
こうされるのは、二回目だ。
前は、びっくりして。怖くて。逃げ出したけど。



あったかい。



「無理して笑わなくて良いから」
「無理なんか……」


してない、という一言は悟浄さんに遮られた。


「泣きてぇ時は泣いとけよ。見ねぇから」


震える。
心が。
体が。
震えてしまう。


「……っ…うぇ…」


もう駄目だ。
溢れた涙は止まらない。


「ご、じょう、さ……」
「ああ」
「ごめ、なさ……っ」
「謝る必要なんかねぇよ。言っただろ?『オレは何も見てない』って。
ましてや、何も聞いちゃいねぇよ」
「ごめ、なさ……ごめんなさ……ごめ…………」


馬鹿みたいに、私は泣きながら謝り続けた。
小さな子供みたいに。
悟浄さんは何も言わないで、ただ優しく抱きしめてくれて。
とても、嬉しかった。

しばらくの間、私はその優しい腕に縋り続けた。
みっともなくて。
どうしようもない姿で。
でも、そんな事も考えられなかったから。

本当はそれほど長い時間ではなかったけれど。
その温もりに、この時間が永遠に続くのではないかと錯覚してしまいそうだった。

嬉しい。
温かい。
安心、する。







けれど、それはやはり錯覚で時を刻む秒針の音が私の耳に残る。
なけなしの理性を総動員して、私は涙を抑える。
もういい加減に、これ以上は駄目だと、境界線が見えた気がしたから。


「もう、平気です」


そして、泣き止んだからと言って、私は悟浄さんの腕の中から抜け出した。
名残惜しかったのは絶対に秘密だと心で決めて。

見れば彼のシャツは私の涙で若干濡れてしまっていた。
それに対して申し訳ない気もしたけど。
でも、嫌わないでいてくれたらしい、悟浄さんの様子に、泣きたくなるほどの安堵があった。
だから、私はこう言おう。

呆れないで、嫌わないでいてくれて。


「ありがとう、ございます」


と。
それを聞いた瞬間の、悟浄さんの表情カオが、今でも忘れられない。
だって、今まで見た中で。


「どーいたしまして」


一番優しい微笑みだったから。





多くを望みはしないから。
だから、こんな私でも。
傍にあるのを許して欲しい。






......to be continued