貴方の心を私は知らない。
私の心を貴方は知らない。






Life Is Wonderful?、18





覗き穴から一旦眼を離して、無意識に溜め息をついていた。

心配してくれて本当に本当に嬉しいけど。
でも、こんな状態の時に、来られてしまって嬉しくない。

とりあえずこのまま放っておく事も出来なくて、私は部屋を確認した。
部屋は、別に荒れてもいないし、汚くもない。
……人は上げられる。
あとは、自分の状態だけだった。
身体の調子は、大分良い。
少なくとも、もう震えていないし、ほてりもない。
頭は痛いけれど、我慢できる範囲内だ。

玄関の横に置いてある姿見を覗き込む。

ボサボサの髪に、ぐしゃぐしゃの部屋着。
目の下にはくっきりとした隈があって。
唇はひび割れてがさがさ。
おでこには紅いにきびが二つ。
ただでさえ冴えない顔を、更に酷くした状態。
それが、等身大の私、 の姿だった。


「最低」


本当に、最低。
こんな私が、悟浄さんに対して厚意以外の何かを持つなんて、ほんとうにおこがましい。
そして、飾ることのない自分を見て、心が決まった。

私は、こうして、風邪を引いたら心配してもらえる。
それだけで充分だ、と。

どうやって早く帰ってもらおうかと考えながら、急いで着替える。
長居をされては、風邪を移してしまう。
そう簡単には帰ってくれない、よね……。多分。
でも、どうやって此処まで?
あ、そういえば住所は教えたんだったっけ……?
この辺り、結構入り組んでるんだけど、よく辿り着けたなぁ。
どうしよう。
どうしよう。


「どうしよ、ほんと……」


でも、どれだけ悩んでもどうしようもないことに変わりはない。
そうだ。
いざとなったら寝たいから、って言って帰ってもらおう。

そう心に決めて、私は玄関先にもう一度向かった。
最後に手櫛で軽く髪を整えて。
一度、大きく深呼吸。


ガチャ。


「悟浄、さん……?」


戸惑いがちに扉を開けて、相手の名前を呼んでみる。
すると、悟浄さんは心底驚いた表情カオで、私を真っ直ぐに見つめてきた。
どうしよう。やっぱり、恥ずかしい……。

そんな私の心情に気付く事のない悟浄さんは、壊れ物に触るような手つきで私の目元に触れた。
少し、身体が強張る。
さっきまでずっと考えていた人にそんな事をされたら、緊張するのは当然だった。
でも、それに気付かれるのは例えようもないほど嫌だった。
だから、彼の口から出てきた一言が風邪の私を案じる言葉で。
ほっとした。


「そこまで酷くはないんですよ。少し頭が痛いだけで」


苦笑を浮かべて、そう応じる。

嗚呼、できた。
私、笑えた。
いつも通り、自然に笑えた。
良かったと思う。本当に、良かった、と。

でも、私の言葉も態度も自分で褒めたくなる位完璧だったのに。
悟浄さんの心配顔は変わらない。
眉間に少し皺を寄せて、何だか納得がいっていないみたいだった。


「……大丈夫?」


どうしてこの人はこんなに哀しそうな表情カオをするんだろう。


「え?あ、はい。大丈夫ですけど……」
「身体じゃなくて。いや、身体も大事だけど……」
「身体じゃなくて……?」


途中で切れてしまった言葉を尋ねてみるけれど、返答はない。
名前を呼んでも、応えてくれない。
途端、酷い不安が私を襲った。

どうしよう。
どうしよう。
私、何かした?
何か、気に障る事しちゃったの?

……怖い。

嫌われたらどうしよう。
怒られたらどうしよう。

嫌われたくない。
スキであろうとなかろうと、それは変わることのない真実。

どうすれば良いかも分からず、私は悟浄さんを見上げ続ける。
すると、一瞬眉間に皺を寄せた悟浄さんは彼にしてみれば小さな声で言った。


「部屋、入って良い?」


その一言に、安堵している自分がいた。


「あ、はい。すみません、ずっと立たせっぱなしでっ!ちょっと散らかってるんですけど、どうぞ」


慌てて、悟浄さんを部屋に入れる。
そういえば、男の人を上げるのって初めてだ。
その事に気付いたのは、数分後の事だった。







部屋に入ってもらうと、悟浄さんはちょっと物珍しそうにあたりを見回していた。
悟浄さんは女の人の部屋入るの初めてって訳じゃないよね……?
八戒さんとかもそんな事言ってたし。
少し、その事実が信じられなくて。
結構納得したのを覚えている。
だって、よっぽど女の人が好きじゃなきゃ、私のような平凡な人間に付き合ってくれる訳がないから。

そんな事を考えながら彼を案内して、そういえば出せる飲み物がない事に気付いた。
確か、悟浄さんは完全にブラックのコーヒーとか飲んでた気がする。が、そんなものは此処にはない。


「あの、コーヒーとかないんですけど、買ってきましょうか?」


後から思えば、そんな事のできる体調か怪しいものだったけれど、私はよっぽど悟浄さんをちゃんともてなしたかったようだった。


「え、んじゃお願……いやいやいや。おもてなしとか、今はいらねぇから」
「え、でも……」


が、同じ事に気付いたのか、悟浄さんは頼みかけて訂正していた。
何だか慌てていたのが、滅多に見れない光景で少し驚いた。
ちょっと……可愛い?


「……『でも』じゃないでしょうが。ンな酷ぇ表情カオして。可愛い顔が台無しよ?」
「酷い顔は元々ですけど……」
「この悟浄サンが可愛いっつってんだから、チャンは可愛いの。
このオレが可愛くない女と一緒にどっか出かけるワケないっしょ」
「……はぁ。そう、なんですか?」
「そうなんデス」


あまりに滑らかなお世辞。
この様子だと、色々罪作りな人な気がする。改めて。
基本的にフェミニストはいらない誤解を生むって分かってるのかな……。
分かっててやってるのなら、ちょっと……。
あ、今はそんな事考えてる場合じゃなかった。
当たり障りない会話して、帰ってもらわなきゃ。
とりあえず今の所は大丈夫だけど、ボロが出たらまずいし。

何時の間にか、自分のペースを見失ってしまっていた事に気付き。
そんな自分を心の中で叱咤して、私は口を開こうとした。
がしかし。


「そういや、何でオレが来たって分かったんだ?」
「……え?」


私が口を動かすよりも早く、悟浄さんの声が響く。
考え事をしていたせいで、話についていけていない私。
すると、軽く苦笑して悟浄さんは補足説明を加えてくれた。


「ホラ。なんかオレがインターホン鳴らしてないのに出てきてくれたからさ」
「ああ……。お隣さんから電話があったんですよ。
わたしの玄関先に紅い髪の男の人がいる。知り合いじゃないのか』って。
見てみたら本当に悟浄さんがいて驚いちゃいました」
「あー、なるほど」


これは、嘘じゃない。
ただ、本当の事を全部言ってないだけ。


「どうしてチャイム鳴らさなかったんですか?ひょっとして壊れてました?」
「あ〜、いやそうじゃなくて」


そう言って、悟浄さんは一旦言葉を切った。
何だろう?と思って彼をを見つめていると、頭を乱暴にかいた後、小さく「……男には色々あんだよ」と言われて……。
?意味が分からない。
チャイムを鳴らさない事に一体何があるんだろう?
壊れてなかったら押せば良いのに。
……悟浄さんって時々よく分からない。
いや、悟浄さんだけじゃなくて八戒さんとかもよく分からないと言えばそうか。

そして、そこでふと一番身近なくせに、分からない事をよく言う人物の顔が浮かんだ。
……そういえば、結構前にコーヒーを置いていった気がする。
もっとも、彼女が飲む場合はミルクがたっぷり入るのだけど。


「あ、そういえばが持ってきたコーヒーがあった気がします。持ってきますね」


立ち上がって小さな備え付けの台所に向かおうとした私だったけれど、それは悟浄さんの声によって止められた。
なんでも、自分で入れてきてくれるらしい。
場所が分からないのにどうするんだろう、と思わなくもなかったけれど。
あまり逆らわない方が早く終わるだろうし、何より自分がコーヒーの入れ方を知らないので任せる事にした。

台所と、ベッドのある今の部屋とを分けるレースののれんをくぐって消えていく背中を見て。
何だか似合わないな、と思った。





貴方の想いを貴方は知らない。
私の想いを私は知らなくて良い。






......to be continued