孤独感。
欠落感。
最後に残るのは、虚無感。






Life Is Wonderful?、17





ザー…


聞こえるのは、水の流れる音。
まるでどしゃぶりの中一人立っているような。
まぁ、それはあながち間違った表現ではないのだけれど。
でも、響くのは水音の合間に聞こえる、私の泣き叫ぶ声。







結局一睡もできずに、私は震えたまま夜明けを迎えた。
白んでくる空を見て、このままいっても、決して睡魔が訪れないことを悟る。
布団では、この身体を温めることができないらしい。
だったら、仕方が無い。もっと直接的に身体を温める方法、シャワーを浴びる決意をした。
力の入らない身体を叱咤して、バスルームへと歩いていく。


ぺたり。


一歩が重い。


ぺたり。


一歩が辛い。


ぺたり。


ようやく辿り着いた扉が、なんとも余所余所しく感じられた。
少しもじっとしていない手で、どうにか服を脱ぐ。
晒された素肌が、あるはずのない風を受けて、一際大きく震える。
それだけのことが、いっそう心細さを呼びこんだ。

頭がぐらつくのもかまわず、私は頭を振って、弱気な心を振り払う。
いや、振り払おうとした。
でも、蛇口を捻って、熱いお湯を頭から被っても、この数時間で根付いたそれは決して消えようとしない。
身体が序々に温まっても、心は凍えたまま。
途方もない孤独感でいっぱいになって。
気がつけば伝っていた、涙。
嗄れるまで涸れるまで、嗚咽を漏らす。

嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。

いやだ。


「うううううぅー!」


寂しい。
淋しい。
さみしい。
サミシイ。

自分はこんなに弱い人間だっただろうか。
こんな、情けない人間だった?
こんな、つまらないことで泣くような?
泣いたところで、助けてくれる人も、差し伸べられる手もないのに?

泣くのには、二種類ある。
一つは、感情が溢れて、周りに人がいようがいまいが関係なく静かに流れるもの。
一つは、誰か助けて、と、周りに向けて発する激しいメッセージ。

そして、今私が行っているのは、間違いなく後者だった。
だから、情けない。
いない人に向けて、意味のない慈悲を求める自分が、情けなくて仕方がなかった。
はじめに浮かんだのは、家族。
でも、次に浮かんだのは、親友でもなんでもなくて。

優しい優しい深紅の瞳。


「馬鹿だ、私……」







ある程度泣き疲れて、部屋へと戻る。
震えのなくなった身体には、虚無だけがぽっかりと座り込んでいた。
今度は、だるくて暑い。
吹き出るような汗に、悪化させたかと、軽く自己嫌悪が入る。
でも、頭の中は、寒いことしか考えられなかった先ほどまでより随分良いようだった。
少なくとも、自分には何かしないといけないことがあるのを思い出せただけでも、かなりの収穫だと思う。

何かしなくちゃ。
何か、しなくちゃいけないのに。
何だっけ。
何を、しなくちゃいけなかったんだっけ。
頭が痛い。
ずきずきと。
がんがんと。
いや、寧ろどくどくと頭が痛い。
思い出さなきゃ。
何か。
何かあった気が。
とても、大切な……。


「……悟浄、さん」


ふっと、今日一緒に出かける予定の人の顔が浮かぶ。

そう、悟浄、さんだ。
メール、しなくちゃ。
こんな状態じゃ、逢えない。
電話は、駄目だ。
きっと弱弱しい声になってしまう。
そうしたら、心配を掛ける。
何度も逢って、分かったけれど。
悟浄さんは優しい。
お人よしって言われても良い位、とてもとても優しい。
少し雰囲気は道化ているけど、でも、それは処世術みたいなもので……。

手元にケータイを引き寄せて。
ゆっくりとした手つきでメール画面を開く。

“突然ですが、風邪を引いてしまいました。
本当に申し訳ないんですけど、今日のお約束はまた今度という訳にはいきませんか?
ごめんなさい”


「本当に、ごめんなさい……」


約束を破ってごめんなさい。


スキになって、ごめんなさい


枯れたはずの涙がまた零れた。







何をする気も起きなくて。
一人でベッドに寝転がる。
身体が辛いのはもちろん、心の整理がつかないから。
つけようとしていない、だけだけど。

気の迷いだと思いたかった。
弱くなった心が見せた、あるはずのない気持ちだと。
だって、こんな私が、あの人を?
あの、優しくて素敵な人を?
スキに?
望みもないのに?

……いや、望みが皆無なわけじゃない、と心の底でささやく声がある。
だって、逢ってくれるから。
誘って、くれるから。
でも、それは……。


「珍しいからだよね」


声に出してみて、確信する。
そう、今まできっと自分みたいな固いタイプの人間は、あの人の周りにいなかったに違いない。
だから、こんな面倒でつまらない人間が物珍しい。
きっと、そうなんだ。
飽きたら、きっと離れていく。
もう、きっと一緒にはいられない。
だからといって、自分を変えることもできない。
だって、変わってしまったら、今一緒にいることすらできなくなってしまうから。
それは嫌だった。
途方もなく嫌。


「私……」


だから、


「悟浄さんのことが……」


これは。


「好きだけど、スキじゃない……」


恋じゃない。







どれだけの間そうして出口のない思考の迷路を彷徨っていたかは分からない。
ただ、お昼は過ぎた、そのとき。
ほど近い場所で私を呼ぶ音がした。


プルルルルル……プルルルルル……。


電話?


プルルルルル……プルルルルル……。


電話だ。誰、だろう。
しばらく安静にしていたおかげで、どうにか言うことをきくようになった身体を起こして、先ほど放ったケータイを探る。
そこに、馬鹿みたいな期待があったのは、否定できなかった。


プルルルルル……プルルルルル…ピ。


「はい、もしもし?」
『あ、ー。どしたの?何か声掠れてない?』


隣室の友達だった。
何だろう、なんか、ちょっと拍子抜け、した。


「今、ちょっと風邪引いちゃってて」
『え!?大丈夫なの、それ?』
「うん。咳とかはないし」
『そっかー。それなら良いんだけど』
「ありがとう。ところで、電話なんてどうしたの?」
『あ、そうそう。なんかさー、の部屋の前に真っ赤な髪ですっごく目立つイケメンがいるんだけど』


…………。


「……………………は?」


今、何て言った?
紅い、髪?


の知り合い?なんか部屋の前うろうろしてるわよ?』
「えーと……うん?」
『あ、良かった。知り合いなんだ?いや、変質者だったら警察に電話しなきゃと思って下で構えてたんだけど。
だったら、早く部屋上げてあげた方が良くない?なんてゆーか、怪しすぎるから。あたし部屋に入れないし。
あ、でも別に嫌な奴なら放っておいた方が良いと思うんだけど』
「……あ、うん。分かった」
『彼氏ぃ?』
「……違うよ」
『だろうね。と180度違う人種だもん、あれ。んじゃ、お大事に〜』


電話を置いて、玄関を見る。
のろのろと外を覗いて見て、悟浄さんを確認する。
でも、見慣れてきたあの精悍な顔を見ても、中々今の状況が把握できない。

つまり、これは。
お見舞いに来てくれた、とか、そういうことなのだろうか?


「どうしよう……」


嬉しいけれど、嬉しくない。





失望感。
絶望感。
最後に感じたのは、戸惑い。






......to be continued