涙の理由なんて知らない。
知る必要もなかった。






Life Is Wonderful?、15





「そういや、何でオレが来たって分かったんだ?」


唐突にオレはそう言った。
沈黙に耐えられなくなったワケじゃない。多分。

がしかし、あまりに唐突過ぎた為に、はキョトンと眼を見開いた。


「……え?」
「ホラ。なんかオレがインターホン鳴らしてないのに出てきてくれたからさ」
「ああ……。お隣さんから電話があったんですよ。
わたしの玄関先に紅い髪の男の人がいる。知り合いじゃないのか』って。
見てみたら本当に悟浄さんがいて驚いちゃいました」
「あー、なるほど」


……きっと、変質者の類だとかそういう風に思っての電話だったんだろうな。


「どうしてチャイム鳴らさなかったんですか?ひょっとして壊れてました?」
「あ〜、いやそうじゃなくて」
「?」
「……男には色々あんだよ」
「??」


自分ですらよく意味の分からない一言。
それに対し、は傍目にも分かる位疑問符を飛ばしていた。

こうして話していると本当に普通で。
いつものデートと変わりなくて。
心地好い空気だった。
ともすれば、彼女の体調とか、涙の跡とかを忘れてしまいそうなくらいに。

が、そうしていても意味がないと思ったのか、彼女はすっと立ち上がって台所の方へと向かう。


「あ、そういえばが持ってきたコーヒーがあった気がします。持ってきますね」
「だぁから良いって!オレがやっから」
「でも……」
「『でも』はいらねぇっつったっしょ?病人は大人しくしてる。OK?」
「………………………はぁ。分かりました。じゃあお願いしても良いですか?」
「もち」


そのコーヒーとやらの場所を教えてもらって、オレは適当に作業を開始する。
そして、他人の台所で慣れないながらも色々やりながら、感じたのは自己嫌悪。

本題っつーか、何で泣いてるかとか、少しも切り出せてねぇじゃねぇかよ。
あー!ンだよ。何でこんな初恋経験中vの男子中学生みたいになってんだっつの。
それとも何か?
オレって思ったよりイイ奴だったのか?
聞いちゃいけない気がして訊くに訊けないとか?
……ダッセェ。
つーかそもそも、今現在泣いてねぇんだから、オレがわざわざ関わる必要性なくないか?

……そうだよな。ねぇよな。
グダグダ考えて損した。
もう訊かない事に決めちまおう。
オレには所詮関係ない事だし?……問題、ねぇよ。

一人で悩んで。
そして、勝手にそう結論付けた瞬間、湯が沸いた事を知らせるあの独特の甲高い音が響いた。







インスタントのコーヒーを入れると、オレは慎重にそれを持った。
というのも、また色々考えていたら、カップに湯を注ぎすぎたからで。
零したらまずいだろうという配慮から。
自然、物音はあまり立てなかった。
そのせいで、はオレが台所から出てきた事に気付かなかったようだった。

だからだろうか。
彼女の眼はオレを捉えず、いつもなら柔らかい笑みと声を与えてくれる顔はひたすらに前を向き。
はぼんやりとしていた。
どこか、つまらなさそうに。
退屈そうに。
そう、してはいたが。
不意に、その大きな瞳が潤んだ。
思わず何かを思い出してしまったかのように。
遠くを見詰めて。
遠くに馳せて。
彼女はオレが見ている事にも気付かず、上を向いてそれをやり過ごそうとしていた。
瞬きも、ない。
それをしたら、涙が止まらなくなるから。

そこでオレは自覚した。
どうしようもない、この妙な感覚を。



理性を感情が駆逐する。



コーヒーはもう、そこら辺に置いて。
そっと近づいてオレは彼女を呼ぶ。



「っ!」


囁くような。
掠れた情けない声しか出せないオレだが。
それでも、こうは言える。
これしか言えないのかもしれないが。
言わないよかマシだ。



――大丈夫だ。



何が大丈夫なのか。
何をもって大丈夫なのか。
そもそも事情を知らないオレが何を言えたもんでもないんだけどよ。
でも、こう言わずにはいられない。

大丈夫だから。
大丈夫、なんだよ。
此処に、オレもいんだろ?
それは祈りにも似た想い。

そして。



ぽろり。
ぽろりぽろり。



彼女の眼から透明な雫が零れた。


「え、あ……?」


自分で事態が把握できていないのか、は戸惑った声を漏らした。


「ごめ、ごめんなさっ。私……っ」


「なんでもないんです」そう言って笑おうとする様があまりに痛くて。


「あれっ。止まんな……」


痛々しくて。
苦しくて。
我慢しているのが哀しくて。


「きっと眼に何か………っ」


でも、妙に気になって。
切なくて。


「入っ……だ、けで……」


オレに心配かけまいとする彼女に感情が溢れた。
気がつけば、必死に涙を拭うの熱い身体を包み込むように抱いていた。
この前みたいに、無意識とかじゃなくて。
オレがこうしたいと思ったから。
こうしてやりたいと思ったから。

驚いて見上げてくる彼女を見ずに、言う。


「無理して笑わなくて良いから」



――嗚呼、これが愛しいという感情か。



「無理なんか……」
「泣きてぇ時は泣いとけよ」
「…………」

「見ねぇから」


その一言の後は双方無言。
でも、オレはの身体を放す気はねぇし。
離してやる気もねぇ。
何も言わずに、ほんの少しだけ、抱いた腕に力を込めた。
こんな酷ぇ熱なのに、オレなんかの為に起き上がって、平気なふりして。
馬鹿じゃねぇかと思う。

でも、それが愛しくてたまらない。

そして、永遠とも思えるような数秒が経過する。


「……っ…うぇ…」


聞こえたのは小さく漏らされた嗚咽。


「ご、じょう、さ……」
「ああ」
「ごめ、なさ……っ」
「謝る必要なんかねぇよ。言っただろ?『オレは何も見てない』って。
ましてや、何も聞いちゃいねぇよ」
「ごめ、なさ……ごめんなさ……ごめ…………」


張り詰めていたモノが切れたかのように、彼女は涙を零した。
あくまで静かに。
でも、激しく。
華奢な身体が震えていた。







程なくして、泣き止んだは真っ赤になった眼を真っ直ぐオレに向けた。
若干恥ずかしそうではあったけれど。
心の底からの笑顔がそこにはあった。


「ありがとう、ございます」





涙の理由なんて知らなくても良い。
知らなくても、胸は貸せるから。






......to be continued