いつから、こんなことになってしまったのだろう。 どうして、こんな付き合いしかできなかったのだろう。 分からないままに、日々は流れて行く。 そこにいるのに、まるで届かない。 声も指も想いさえ、遠く隔たる空気に邪魔される。 それはまるで――遠距離恋愛。 社 内 遠 恋 カタカタとパソコンのキーを打つ音が鳴り響くオフィス。 その一角で、私は今日も今日とて休み時間返上で働き続ける。 全ては、要領の悪い自分自身のせいであることは間違いないのだけれど、 自分なりに頑張っているのに、ずんずん仕事が増えていく現状に溜め息を禁じ得ない。 こんなに、要領悪かった覚え、ないんだけどなぁ。 社会人になるまでは、そこそこ要領良く、何でもそれなりにできていて。 こんな風に、いつもいつでも余裕がない、なんて状況にはいなかった。 それが働く、ということなのかとも思ったけれど。 ……要領の悪さは、日常生活にまで及んでいる。 「……はぁ」 原因は分かっている。 正確には、社会人になって、というより、とある人物と知り合って、だ。 何度目になるか分からない、溜め息。 すると、隣のデスクで仕事をしていた先輩が、心配そうに眉根を寄せた。 「さん、大丈夫?なんか、さっきから凄い溜め息だけど」 「あー……、すみません、辛気臭くて」 「いや、別にそれは良いけど。顔色悪いよ?」 「そうですか?まぁ、こんなもんですよ」 「良かったら相談に――……」 親切心と、ほんの僅かな下心。 そんなものを内包した声がかかったその瞬間、 どよんとした私とはまるで正反対の黄色い声が、入口近くのデスクから聞こえてきた。 思わず、二人でそちらに目を向けると、まぁ、いつも見慣れた光景というかなんというか。 「相変わらずモッテモテですねぇ、悟浄さんは」 「あー……、そうだねぇ。今日はまた随分多い」 我が部署のアイドル(笑)沙 悟浄さんが、他部署の女の子たちにお弁当を献上されていた。 目立つ紅髪に、高い身長、精悍な顔つきに甘い声。 なんでこんなところで会社員なんぞやっているのかという程、浮世離れした容姿の彼は目の前の先輩と同期だ。 がしかし、女子社員の扱いの差はこうも歴然。 彼女がいるとでも噂になれば阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がること間違いなしだろう。 と、私たちがあんまり見つめていたものだから、取り巻きの女の子の一人がこっちを見てひそひそ話だす。 うわぁ、怖いなーなんて感想を抱いていると、それに気づいた悟浄さんがにっこり笑顔で手を振ってきた。 もちろん、振り返すなんてことはせず、隣りの先輩に「呼んでますよー」なんて声をかけてあげる。 「いやぁ、あれは呼んでるんじゃなくて、見せびらかしてんだろ」 「そうだとしても、早く手を振り返しちゃって下さいよー。女の子こっち睨んでるじゃないですか」 「さんが振り返せば良いんじゃない?」 「いえいえ。そういう名誉あるお役目は先輩にお譲り致します」 「こんな時ばっかり先輩かい」 「あの人と同期になった先輩が悪いんですよー」 はぁ、とさっきまでの私のように溜め息を吐いて、先輩は仕方がなくシッシッと犬でも追い払うような仕草を見せる。 すると、悟浄さんはその失礼な動作にも機嫌良さげにカラカラと笑って、女の子たちの話に戻っていった。 そこには、私に対する何か特別なサインも言葉も態度もない。 もちろん、私の日常生活にまで支障をきたすほどの要領の悪さが、自分のせいだという懺悔もない。 「……はぁ」 ……私、あの人と付き合ってるんだけどなぁ。 付き合ったきっかけは正直覚えていない。 敢えて言葉にするなら……なんとなく? 偶々、会社近くのCDショップに行って。 そうしたら、悟浄もそこにいて。 「暇で暇で仕方がないから、CDでも借りに来た」と言ったら、「じゃあ、一緒にどこか行く?」とか誘われて。 まぁ、いっか的などうでも良いノリでそれにOKを出し。 その後は、まぁ、なし崩し的に。 好きだなんだと、愛の言葉はお互い囁くけど、そこに真実がどれだけあるのか、自分自身でさえ分からない。 なんとなく偶に逢って、なんとなく一緒にいて。 ただまぁ、別に分かれる理由もないので、関係は現在まで続いている。 もちろん、社内でその手の話題も仕草も一切なし。 それはお互い暗黙の了解のようにしていることで、こそこそと、密会のように逢瀬を重ねた。 別に悪いことをしているワケじゃあないのだけれど、だって、周りに気まずいし。 ただでさえ若いってだけでもお局様に目を付けられやすいのに、そんなことバレたら陰湿なイジメの嵐だろう。 想像しただけで、面倒で嫌だ。 だから、息を殺して。 目立たないように、いっそお互いに関係がないかのように、毎日振舞って。 そのことは仕方がないかなーと思っている。 でも。 「えぇ〜。俺マジ彼女いねぇよ〜?」 「うっそぉ?絶っ対それ嘘だしぃ」 「悟浄くんフリーとかマジありえないよねぇ」 「マジマジ。俺、今、フリーよ?どう?今度どっか飲み行く?」 「行く行くー!」 彼女がいません誰でもウェルカムって態度をしている悟浄に、泣きたくなるのもまた事実で。 あたしがそうだって、別に言わなくても良いけど。 それでも、彼女をないものにされると、どうして良いか分からない。 それとも、あたし彼女じゃなかった? 悟浄の彼女じゃなくて、その手の友達? 都合の良い女? 「――?さん?」 確かに、今まで付き合った人間は両手の指じゃ足りないし。 自分がそんなに身持ちの固い人間じゃないことは知ってるけど。 でも、悟浄と付き合っている間は、悟浄しか見ていないのに。 「さん?」 あたし、何番目なの? 2番も3番も4番もいて。 まさか、1番の人もいるの? あたし、あたし、あたし。 悟浄の、なに? 嗚呼、目の前が真っ暗になる。 「さん!?」 「!?」 意識を失う直前に聞こえたのは、目の前の先輩の焦った声と。 その声をかき消す位に大きな、悟浄の悲痛な叫びだった。 ブラックアウトした視界に、色が戻る。 見慣れない白い天井と、あまり使われていないであろう冷たい布団の感触に、 嗚呼、なに、私倒れたの?と他人事のように考えた。 「う……」 ぶっちゃけ、肘と肩が痛い。 明らかにどこかにぶつけたと思しき痛みに思わず呻くと、その声にばっと誰かが駆け寄ってきた。 「っ!……お目覚めかよ、チャン」 それは、鮮烈な夕焼けの紅。 目に痛くなるほど、鮮やかで鮮やかで忘れ難い色。 「ごじょう……?」 愛おしくも狂おしい色。 「疲れてるならぶっ倒れる前に休めっつーの。マジ焦ったわ。 とりあえず、貧血だろうから寝てろとよ。ちゃんと喰ってんのか?ったく」 「え…あ、でも……なんで……」 「はぁ?」 なんで、悟浄が、医務室に。 だって、こんな風にただの同僚に付き添ってるなんて、おかし―― 「彼女が目の前で倒れたってのに、傍にいないワケねぇだろーよ」 「!!?」 予想外の言葉に、思わず目を一杯に見開く。 すると、その反応が気に入らなかったらしく、悟浄の眉間の皺が1.5倍になった。 「ナニ、その反応?」 「え、いや、あの……」 「それともナニか?俺は彼氏じゃありませぇーんってか?」 「……はぁ?」 が、不機嫌そうに吐き捨てられたその一言がまるで理解できず、こっちも渋面になる。 誰が、誰の何じゃないって?? 「ごめん、意味が分かんないんだけど」 「だぁから、にとっちゃー俺はどうでも良い存在なのかって訊いてんだよ!」 「はぁっ?」 苛々と声のボリュームを上げてくる悟浄だったが、病み上がりでそんな声を上げられる覚えのない私としては、 同じように苛々と訊き返すことしかできない。 あんまり大きな声出すと、人が来るだなんて常識は忘却の彼方だ。 「そりゃあ、そっちでしょ?他所の子たちに鼻の下伸ばして彼女募集してたじゃない」 「はぁっ!?ンで、俺が責められなきゃいけないんだよ!? 先に彼氏いないとか言ってたのじゃねぇか!だから、俺もそれに合わせてだなぁ……っ!」 「別に責めてないでしょ!?」 「責めてんじゃねぇか!」 反射的に怒鳴りながら、今、凄く聞き捨てならないセリフがあったことに気づく。 それに、今だけでなく、目が覚めてから何度も。 そのことに気づくと、いや、気づいても、どう反応して良いか分からず、 さっきまでの威勢の良さもどこへやら、私は幾分小さな声で彼を呼んでいた。 「……悟浄?」 「ンだよ!?」 「あたしに合わせてって……なに?」 ぽろっと、出た疑問。 それに、悟浄はまた苛々と答えようとして。 けれど、あたしの表情に何か感じるところがあったのか、ややトーンを下げた声を出した。 「なにって、だから……が俺と付き合ってるの隠したがってるみたいだったから、 俺も彼女いませんってフリしてだな……」 「……あたしが?」 「ンだよ。そうだろ?」 思わず確認したあたしに、悟浄は憮然とした表情だった。 彼の心情を表わすとしたら、なにを今更、だろう。 でも、そんなこと、初耳で。 確かに、あたしは周りに悟浄と付き合ってるって、言いふらしたくなかった。 だって、そんな自分に自信なんて、とてもじゃないけど持てない。 周りの嫉妬に立ち向かう勇気もない。 だから? だから、黙っててくれた? あたしが、嫌がるから? あたしが困るから、わざわざ黙っててくれたの? それは。 それはとても嬉しくて。 でも、戸惑うことしかできなくて。 気がつけば、ボロリと、一粒だけ涙が溢れていた。 「……!?おまっ!なんで泣いて……っ」 「……泣いてないわよ、馬鹿悟浄」 「はぁ?泣いてんだろ、どう見ても」 「泣いてないでしょ、どう見ても。目の錯覚よ。心の汗よ」 「……はいはい。仰せの通りデス」 情緒不安定な女の言葉には取り合わないことに決めたらしい。 悟浄はぞんざいに答えを返し、後は面倒とばかりに、その逞しい腕の中にあたしの頭を抱え込んだ。 そのどこか男臭い腕の中が嬉しくて、また泣いたのは、秘密。 それから数分、思う存分あたしはそのぬくもりの中に浸ることができた。 社内でその腕を堪能なんて、こんな機会でもないと、とてもじゃないけどできない。 そこに言葉はいらなくて、ただただゆったりとした時の流れに身を任せるだけで良かった。 けれど、まさかいつまでもそんなことをしているような時間の余裕があるワケでもなく。 あたしは、そっと、パンダになった目元を隠すようにして、そこから抜け出した。 「……でも、別に彼女募集中とまで言う必要、ないじゃない。 普通に『彼女はいるけど、内緒』とか『社内の人間じゃない』って言うとか色々あるでしょ」 で、出てきたのは、恨み言。 気恥ずかしくなってきて、それを誤魔化すためにしたって、なんて可愛くない言葉。 けれど、悟浄はそんな私の強がりなんてお見通しらしく、 そこでようやく、いつもと同じシニカルな、彼らしい笑みを浮かべた。 「そこまでは言ってないだろーが」 「だって、フリーで飲みに誘うとか……。彼女募集も同じじゃないの」 「だから、そこまで言ってねぇって。 それに、以外に彼女がいるだなんて、嘘でも言わねぇっつーの。 なになに、チャンってば、嫉妬しちゃった?」 「嫉妬っていうか……」 否定したかったが、紛れもないそれに言葉が尻つぼみになる。 すると、口以上に雄弁なその姿に、ますます、悟浄の機嫌が上昇した。 「んじゃ、ヤキモチ。ってば、かぁわいいなー♪」 「いや、可愛くないし。ヤキモチでもないし」 「またまた照れちゃってー。俺はばっちしヤキモチ焼いたぜ?」 「は?」 「だぁってよー、同期の奴ばっかしとしゃべってんだろ? なんで俺がこんなに我慢してんのに、ばっかって思うだろフツー」 な?とお茶目にウィンクをしてくる悟浄に、ふと笑みが浮かんでくる。 なんだか、凄く、凄く今までごちゃごちゃ思ってた自分が馬鹿らしい。 なんだ、悟浄も同じ想いだったのか。 なんて。 なんてすれ違い。 なんて空回り。 「……くす。馬鹿みたい」 「お、そこまで言うかぁ?のこと此処まで運んできた恩人に対して失礼だな、オイ」 「くすくす。馬鹿みたいだよ、だって。 どうすんの?付き合ってんのバレちゃったら?」 「あー……そん時ぁ、そん時だろ。ダイジョーブ。イジメられたらゴジョさんが寿退社させてやっから」 「くすくす。楽しみにしてるわ」 社内遠恋が終わる日も、近いかもしれない。 ―作者のつぶやき♪― この作品はキリバン7500hitを見事に踏み抜いたアリス様に捧げます。 はい。という訳でお送り致しました、悟浄夢いかがでしたか? リクエストは『設定問わず悟浄で切→甘(微甘)』というものでした。 実は、これ、最初リクエスト頂いた時は、悟浄さんがヒロインさんの浮気を疑って暴走、みたいな話を考えていたのですが、 三蔵さんでそんな話書いたなー(anotherで『おちたのは』参照)ってことで、ボツになり。 どうしようかなーって考えている時に、彼の2番目になっている自分に悩んでいる人の話を聞いてこれだ!と(笑) 珍しくも、話が出来上がる前にタイトルが先にあったお話です。 アリス様も悟浄連載の時からいらして下さっているそうなので、現代パラレルでいってみました。 お気に召して頂ければ幸いですー。 以上、7500hit記念夢『社内遠恋』でした! アリス様のみお持ち帰り可です。 いつも応援ありがとうございます!これからも亀の歩みのサイトですが、どうぞお楽しみ下さいw |