ク時







「なァ、三蔵!」


元気の良い少年の声が往来に響く。

此処は西へ向かう旅の途中に立ち寄った『華栖かさい』という街だ。
一見して、豊かに栄えていることが窺い知れる場所だった。
道を行く人々の表情は総じて明るく、それは、妖怪の被害にあっていないコトを示している。
噂によれば、すぐ近くにある森に神がいて結界を張っているらしい。皆は口々に『神子様のおかげだ』と話していた。

だが、如何に治安が良いと言っても、ただ通過するだけの街のはずだった。
そう。突然三蔵がこの街に滞在すると言わなければ。


「……何だ」
「こんな処に何があるんだよ?」
「付いて来るな」


纏わりつくように傍を歩く悟空に冷たい一瞥を寄越し、三蔵は街の出口――森の入り口の方へ歩を進めた。

がしかし、ソレを甘んじて受けるハズのない彼は、少し後ろを歩く八戒を振り返り不平不満を言い募る。
明るい金晴眼は、彼の気持ちをそのまま代弁するかのようだ。
一目で納得がいっていないのが簡単に見て取れた。


「八戒ィ〜」
「はいはい……」


八戒はその様子に苦笑を洩らす。
が、それは自身も思っていたことであるので、すぐに彼としても疑問を口に上らせた。


「三蔵、単独行動を慎めと言ったのは貴方ですよ?」
「そうそ。それにいつも無駄足なんか嫌がるのに、こ〜んな明るい内に街に寄るって決めるのはどういうワケ?」


そして、八戒に合わせ明らかに皮肉を言ってくる悟浄に三蔵はその整った眉を顰めた。

そう。今日の三蔵は確かに「らしく」ない。
個人的な、それも個人的すぎる用事で旅の日程を変更するなど、いつもの彼からは考えられなかった。
悟空達が興味を持つのも無理はない。

がしかし、三蔵は理由を応えるつもりはないらしく、鬱陶しそうに悟浄を睨んだ。


「貴様等には関係ないだろう」
「って、そりゃちょっとないんでないの?三蔵サマ」
「そうですよ。散々ヒトの行動を制限しておいて、御自分だけ自由なんて都合が良いと思いますけど?」
「もくひはんた〜い!」
「意味分かって言ってんのか、悟空」


少し怪しい悟空の発言は皆そのまま流し、八戒は三蔵に詰め寄った。


「僕達は知る権利があります」


少し真面目な空気が取り戻されたのを受けて、三蔵は仕方無しに口を開いた。
そうでなければ、八戒はかなりの間食い下がってくると予測したからである。
そしてソレは、恐ろしいコトにきっと間違っていなかっただろう。


「以前……世話になった奴に逢うだけだ」
「え?そんだけ!?」
「まァな……」
「世話になったって、お礼参りとかじゃありませんよね?」
「何でそうなる」


どうも、八戒は「世話になる」のニュアンスを確認したいらしい。
確かに、三蔵ならばどちらでも通じそうだ。
つまり、本当にお世話になった場合と、痛い目にあわされた場合と。
寧ろ、誰かに殊勝な様子で誰かにお礼を言う三蔵よりも、後者の方が想像し易いのだから性質タチが悪い。

がしかし、怖いのはソレを真顔で尋ねる彼に他ならない。


「ハッハ〜ン?さては女だな、その相手」


しばらくして冗談交じりで悟浄がそう言うと、八戒、悟空は隠す様子もなく呆れた表情カオを見せた。
毎度のコト過ぎて、諌める気も起きない。
がしかし、当の三蔵の答えは酷くシンプルかつ予想外のモノだった。


「ソレがどうした」


もちろん、この答えに目を丸くしたのは一人ではない。
まるで珍獣でも見るように、三人が三人共三蔵に失礼な視線を送った。


「マジ……?」
「冗談、じゃありませんよねェ……」
「うっそ……」

「手前ェら何揃いも揃って阿呆面してやがる!?」

「いや、だって、なァ……?」
「三蔵が女性に逢う為に日程を変更するなんて、天変地異の前触れかと……」
「まさか……彼女なんてオチ……」
「ンなワケあるかっ!」


あんまりな連れの反応に「だから話す気が起きねェんだ」とかなりご立腹の三蔵は、 固まっている三人を置いて、さっさと街の隣りにある険しい森の中に足を踏み入れた。
そう。彼が偶々街の名前で思い出した彼女は、街ではなく噂の森の中のある変わった場所に住んでいた。
今はもう、住んでいないのは分かっている。
いるのは少しの間だと言っていたから……。
けれど、街の人間に彼女のコトを尋ねる気には何故かなれず、なんとなく三蔵の足は森へ向かっていた。
三蔵にしては珍しいコトに。
思い浮かぶのは、屈託のない笑顔だけだった。







それは、三蔵が『江流』でも『玄奘三蔵』でもなかった時。
彼は、経文を狙う妖怪ではなかったが、山賊紛いの連中に襲われた。
此処まではよくある話だった。
だが、多勢に無勢と判断した彼が逃げる途中、雨によってぬかるんだ地面に足を取られ急斜面を落ちてしまったのはこの一回きりである。
幸いにも辺りが暗かった為かその後、妖怪は追って来なかったが、彼は身体の節々に感じる痛みに意識を手放し、その場に倒れ伏したのだった。

そして、彼が目を覚ました其処は、野外ではなかった。


「……っつ。此処、は?」


まず目に入ってきたのは白い石造りの壁と天井。
そして、自分に施された処置の数々。
どうやら、自分は誰かに助けられたらしいというコトを彼は理解した。
がしかし、此処で気を抜くような安易な思考は持ち合わせがない。
辺りを見回して、自分の荷物を捜した。
すると、経文も何も、全てがきちんとベッドの隣りの棚の上に置いてあった。
痛む身体を鞭打ってソレを手に取ったが、確かにソレは本物でしかない。

ほっと安堵の息を彼が洩らしたその時、不意に目の前の扉が開き、其処から一人の少女が現れた。


「あ、起きたんだ。2日以上寝てたよ?具合はどう??」


彼より幾つか年上に見える彼女は朗らかな笑みを浮かべた。
そして、彼に近づいてくると、少し馴れ馴れしい様子で彼の手を取ろうとした。
もちろん、彼がソレを許すハズもなく、荒々しい手つきで彼女の手を払う。


「触るなっ!」


一瞬、彼女は驚いた表情カオをした。
がしかし、すぐににっこりと笑顔を浮かべ、口を開いた。


「痛い」
「……あ?」
「痛いんだけど」


少女は一旦、手にしていた救急箱を棚に置くと、その表情カオを一変させた。
もちろん、泣き顔なんてモノではなく、憤怒の表情に。


「謝れ、この重体患者が!」


その突然の変わり身に彼としてはただただ驚くほかない。
がしかし、そんな彼の様子がお気に召さなかったのか、彼女は彼に指を突きつけた。


「謝んなさい」
「ふざけるな。何でオレがお前なんかに謝らなきゃ……」
「重いのに此処まで運んで尚且つつきっきりで包帯替えた人間に対して無礼な態度を取った自分の行動を省みなさい」


頼んでねェよ。
大体、誰だ手前ェ。

そうは思ったが、彼女の言うコトにも一理ある。
なので、彼はそれ以上文句を言うのを止めるという妥協をした。もちろん、謝るなんてコトはしない。


「此処は何処だ?」
「……謝んなさいって言ってんのに、全く」
「此処は何処だと訊いている」


頑なな態度を崩さない彼。
先に折れたのは少女の方だった。


「『神の御休処みやすどころ』。アンタがボロ雑巾みたいな格好で近くに倒れてたのよ」
「神の……?」
「神殿みたいなモンだとでも思っときなさい」


酷く偉そうな口調だ。と、自分のコトは棚に上げてそう思った。

そして、彼女は彼が暴れないコトを確かめると、怒りをおさめもう一度その手を取った。
どうやらただ包帯を替えようとしただけのコトらしい。
そして、傷の具合を確かめながら彼女は口を開いた。


「まァ、常人なら全治三週間って処かしら。でも、アンタ一応鍛えてあるみたいだしニ週間もあれば十分でしょう」


その言葉に彼は冗談じゃないと心の中で考えた。
ただでさえ、彼は師の形見を奪った妖怪を追っている。時間が一刻でも惜しい状態なのだった。
そう思うと居ても立ってもいられず、彼は無言でベッドから降りようとした。


「って何してるの!?」
「……世話になったな」


慌てて押し留めようとする少女を振り払い、彼は床に足を下ろした。
がしかし、その瞬間鋭い痛みが足首を襲い、彼は体制を崩してベッドに逆戻りしてしまった。
どうやら足に怪我をしているらしい。ようやく分厚く巻かれた包帯が目に入った。


「言っとくけど、一番酷いのが足だからね。捻挫してるんだから」
「……知るか」


そして、彼はどうにかして立ち上がろうと足に力を入れた。
すると、その様子を呆れながら見ていた彼女が膝に向かって軽くローキックを繰り出す。


「っつ!」
「事情はよく分からないけど、今すぐ即ベッドに戻んなさい」
「なに、しやがんだ手前ェっ!」


憤りも露わに自分を睨み上げる少年に、彼女は冷たい視線で応えた。


「その怪我、妖怪でしょう」
「……」
「死に急ぐなら他所でやって」


少女はそう言うと、彼を残して部屋から出て行ってしまった。







仕方無しに彼がベッドに戻った後も、少女はしばらく部屋には来なかった。
彼女が戻ってきたのは、大分日が落ちた頃である。


「…………」


彼女は不承不承ながらもきちんとベッドに収まっている彼を一瞥すると、何処からか持ってきた椅子を彼から少し離れた処に置いた。
どう声を掛ければ良いのか迷う彼だったが、そんな彼はお構い無しに彼女は自分の食事を持ってきて椅子に座る。
そして、彼に見せ付けるかのように彼女は夕食を食べ始めるのだった。


「…………」
「あー、美味しい」
「…………」
「やっぱりシチューは良いわよね」
「…………」
「栄養満点。日持ちも良いしー」

「……オイ」
「何よ、重体患者」


あまりにこれ見よがしな態度に見かねて彼が口を開くと、彼女はかなり憮然とした態度を返した。
かなり機嫌を損ねているらしい。


「普通、その重体患者を優先するモノじゃないのか……」


そう言うと、彼女は心底見下すかのような表情カオで嘲笑した。


「ハッ。馬鹿じゃないの?
死に急ぐ奴に食べさせるようなモノは此処にはないわ。せいぜい野垂れ死になさい」


彼女は其処で会話を打ち切って、彼の存在を完全に無視して食事を続けた。
その後も、彼が話し掛けても無視を続け、彼女はかなり自己中心的な態度を貫いた。


「ふぅー。美味しかったv」


やがて、ようやく少女の食事が終わり会話が始まるかと彼は身構えたが、 彼女は一度伸びをした後、何事もなかったかのように部屋をあとにしようとしてしまった。
流石にソレは予想していなかったらしく、彼は多少慌てて彼女に声を掛ける。


「待てっ」
「嫌」
「何しに来たんだ、お前は!」
「美味しい食事を見せびらかしにに決まってんでしょう」


振り返りながらきっぱりと、何でもないコトのように言う少女に一瞬彼は呆然とした。
はっきり言って、彼女の行動は常識の範疇から外れている。


「何?食べたいの??」
「…………」
「そうよねー。食べなきゃ怪我治んないもんねー」
「…………」
「大人しく養生するならあげるわよ?ただし、治ってもいないのに逃げようとしたら、思いっきり蹴って怪我を酷くしてあげる。
それで良かったら、名前をきちんと名乗りなさい」


主導権を握られているというのは、彼にとってかなり我慢のならないコトだった。
がしかし、このままでは確実にこの少女は自分を放っておくだろう。冗談を言っている気配は微塵もなかった。
彼は動けない以上仕方がないと、断腸の思いでソレを了承した。


「……チッ。勝手にしろ」


その素直でない様子に、しかしきちんと了承の意を汲み取った彼女はベッドに近寄った。


「言われるまでもないわ。私は。アンタは?」
「……名前なんぞねェ」
「ふーん、名無しね。じゃあ、私がつけてあげるわ」


そして、と名乗った少女は可愛らしい笑顔を浮かべていった。


きんちゃんv」
「止めろ」


心底嫌そうに拒絶する彼に彼女は不思議そうな表情カオを浮かべた。
どうやら個人的には本気で良い名前だと思っていたらしい。
腕組みをしながら首を傾げてみせた。


「何で?良いじゃない、髪のちゃんで」
「冗談じゃねェ」
「アンタが素直に名前言えば良いのよ。言いなさい」
「ねェっつってんだろうが」
「通り名でも偽名でも良いから言いなさい。でないときんで決定だから」


しばらく二人は睨みあった。
がしかし、この場合の勝敗は明らかである。
彼は心の底から溜め息を吐きながら、小さく「三蔵」と口にした。

ソレを聞いては一瞬キョトンとしたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。


「分かった。じゃあ三蔵ね!私、丁度あとニ週間位此処にいなきゃいけないの。宜しく!」


その後食べさせられたシチューは、残念ながら美味いと感じられなかった。







は変わった人間だった。
何故か広い神殿で一人、暮らしており、三蔵の世話を色々と焼いた。
お節介かと思えば、薄情な処も多々あり、気紛れな人間なのかもしれない。
気づけば、彼女はたくさんある書物を三蔵に押し付け、暇潰しだと笑った。
「知識は多ければ多いほど良いモノよ」と得意げな声で言いながら。

そして、三蔵が大分回復してきたある日、彼は彼女に気紛れで問い掛けたコトがある。


「オイ」
「だから名前で呼びなさいよ。可愛くないなー」
「お前はどうしてオレを助けた?」


特に大した答えを求めたワケではない。
だが、その問いには酷く真剣な口調で答えた。


「誰かを助けるのに理由なんてないと思う」


ソレは、偽善だ。
そう言うと、彼女はやはり笑った。

所詮この世界は偽善とエゴが繁栄しているモノだと。
偽善だと思うのなら、そう思っておけば良いと。


「でも、敢えて理由を言うと……」
「何だ」
「オコサマには内緒」


よく笑う女だと、いつも思っていた。
内容は馬鹿にされた感もあるが悪意は欠片も感じられず、ただただ彼女は無邪気な笑みを浮かべる。


「あ、そうだ。私も三蔵に質問!」


唐突にはそう口を開いた。
そして、答えても答えなくても良いと、彼女は前置きしてから切り出す。


「何で最初、あんなに急いでたの?」


三蔵は少し惑う。少し迷う。
予想もしていなかったその問いと、見ず知らずと言っても良いほどの人間に口にすべきかに。
軽々と告白して良い内容ではない。
だが、せめてその位は言っておくべきかと判断し、どうとでも解釈できる答えを口にした。
彼なりに世話になっているコトをすまなく思っていたのかもしれない。


「……大切なモノを捜しているからだ」
「何で捜してるの?」
「尊敬する方に任された。だから捜し出す」
「何で任されたからってソレをしなきゃいけないの?」


三蔵が答えると、彼女はすぐさま別の疑問を彼に浴びせ掛ける。
そして、意図の汲み取れない質問に、三蔵は少し憮然としながらもきちんと答えていた。


「……しなければいけないワケじゃない。オレの意思の問題だ」


そこまで訊くと、彼女は「ふーん」と一瞬考える仕草をした。
何を考えたのかは、三蔵には分からない。


「なら、私が三蔵を此処に連れてきたのもそんな感じだよ」
「……?」
「私の心が『助けたい、助けろ』って命じて、ソレに従っただけだもん」
「……っ」
「だから、三蔵が偽善だって言うならそうなるし、違うって言えばそうなるわね。
何事も自分と相手がどう思ってるかで何にでもなれるんだよ。
だから、三蔵が本当に死にたくてあんな風に倒れてたんなら、ソレを邪魔した私は悪でしょ?
一般にヒト助けって言われるコトをしたのに」


三蔵は彼女の話を黙って聞き続けた。


「だから、迷惑なコトとか嫌なコトは言わなきゃ伝わらない。もちろん、決意なんかもね。
逆に、嫌なコトだと周りが思っても、本人が良いと思ってるならなるべく干渉しない方が良い、私はそう思うんだ。
其処で訊くんだけど、三蔵は今辛い状況に見える。でも、自分としては止めたいって思う?」


その時のは何時になく真摯で……。
その理由が三蔵には分からなかった。


「思わねェよ……」


数拍の思考の後、三蔵はそう答えていた。
もはや、聖天経文を取り戻すのは彼の存在理由の一つだ。
辛くないと言えば嘘になるが、止めようと思ったコトはただの一度もなかった。


「うん。じゃあ、応援してあげる。頑張りなさいよ、三蔵!私も頑張る・・・・・からね!」


初めて掛けられたその一言と笑顔が、酷く印象的だった。
返事をするコトもなく、三蔵がただじっとこの変わった少女を見ていると、は少し大袈裟に肩を竦めて口を開いた。


「……何か大変そうなんだね。ちょっと心配かな」
「何……?」
「三蔵って無茶しそうだもん。真面目なのは良いコトだけど、程々にしないと死んじゃうよ」
「大きなお世話だ」
「私が三蔵の心配するのは大きなお世話だって言うの?」
「他にどう聞こえるんだ」
「どうして其処でお礼が言えないのよ、このスカポンタン」
「意味の分からない単語を使うな!」


分かったのは三蔵が知る女性像から、彼女はかなりかけ離れているというコト。
少女というには理知的で、女性というには屈託がない……。

そして、は三蔵が多少いらつき始めているのを見て、ボソリと呟いた。


「……泣くからね」
「あ?」
「三蔵が死んだら泣いてやる。この世の終わりみたいに泣いてやる。で、呪ってやる」
「何言ってんだ、お前……」


明らかに最後がおかしいだろう、と視線で伝えながら、三蔵は溜め息を吐いた。
すると、そんな様子を見て、は何かを切り替えるかのように、またも笑顔を浮かべた。


「なーんて、嘘に決まってるでしょ。少なくとも三蔵は私より長生きよ。確実にね」







そして、別れの日。
は三蔵を森の外まで送り届けると言った。迷ってしまうかもしれないから、と。
森の中で彼女は三蔵にいつも以上に話し掛けてきた。
この別離を心に刻み込もうとするかのように。

すると、三蔵もソレを承知してか、彼女に「黙れ」と告げるコトはしなかった。


「……私、最初三蔵が倒れてた時はどうしようかと思ったわ。だって見かけによらず重いし、男の子だったし」
「煩ェ」
「しかも、目が覚めたかと思ったらやたらと可愛げないから驚いちゃったじゃないの」
「可愛げなんぞ男に求めるな。気色悪ィ」


此処数日と、大して変わらない話。雰囲気。
ソレらが全て嬉しく、また切なかった。

は自分がもう三蔵には逢えないと思っていたし、三蔵も自分から逢いに来るような人間じゃないと承知していた。
三蔵はこんな事故でもなければヒトと関わろうとしないというコトを、その態度からすでに悟っていたのかもしれない。

何処か自分を拒絶する少年に、は苦笑を向ける。

少しでも、自分を憶えていて欲しい。
その想いが彼女をよく笑顔にさせていた。
普段の彼女はそれほど笑顔を浮かべる少女ではないという事実を、三蔵が知ったら驚くコトだろう。


「あら、可愛い子は男だろうがなんだろうが可愛いわよ。なのに、三蔵ったらどよんと暗いオーラ出しちゃってさ」
「あ?何だ、ソレ」
「何、気付いてなかったの?」
「だから何だ」



「簡単に言えば死にかけてたのよ。心が」



剥き出しの敵意と自分を棄てているような気配。
大切な人との約束なんて知らないけど、その為にそんなボロボロになる生真面目な馬鹿は初めて見たとはこっそり思う。
焦れば焦るほど、全てが色を失っていく。
その感覚は、自分も痛いほどに、それこそ死にそうになるほどに覚えがあるけれど。
けれど、は最後の最後に。
色どりを与えてくれる少年に、出逢ったのだ。


「あーあ、心配だわ。また死んじゃうんじゃないかしら、アンタの心」


けれど、今はまだ焦燥に駆られる彼に、が言えたのは、こんな言葉だけだった。

「ほんの少しなら楽しませてあげられるし。怒らせてあげられるけど。
泡沫の間なら人形になるのを止められるけど。
でも、一緒には行けないもの。
行けたとしても、私じゃきっと三蔵の世界を無限の色で染められないもの」


怪訝そうに眉を寄せる少年の隣りを行くのは自分ではない。


「だから、捜してね。悪友でもなんでも良いから、自然に息ができるようなヒト」
「意味分かんねェよ……」
「年長者からの忠告よ。私、三蔵には感情豊かでいて欲しいの。折角可愛いんだから」


綺麗じゃなくて良い。
そんな生き方なんて求めてない。
ただ、あるがままに生きていて欲しい。

哀しい哀しい、エゴにまみれたこの願い。


「お前、前に可愛くないとか言ってなかったか?」
「どよんとしてる時は可愛くなかったの!でも今はほんのすこーし、可愛いの!!」
「馬鹿にしてんのか誉めてんのかどっちだ、手前ェ」
「アンタが思ってる方よ」



―――神にも届いてくれるだろうか……。



その後の会話はよく憶えていない。
ただ、大した話じゃないだろう。


「じゃあな、……」
「うん。バイバイ、三蔵」


そして、三蔵は<と別れ、彼女は独り街へと進んだ。
彼女自身が『人形』と示した表情と、人間の表情をその顔に貼り付けて。







が街に着くと、大勢の人間が恭しく頭を下げ彼女を待っていた。


「神子様……。準備はとうに出来ております」
「分かっているわ」


彼女は、三蔵といた時とは打って変わって何処か硬い雰囲気発していた。
何処か、その声の響きは周囲と距離を求めているようで。
聞いている側が薄ら寒くなる類のモノだった。
三蔵に対しても少し偉そうな態度をした彼女だったが、今のはそんな生易しいモノではなかった。

すると、街の代表と思しき人物は後ろに控えていた娘に目配せをし、に対峙した。


「先日、妖怪共が森の中に現れたとのコトです」
「神子様っ!」「みこさま!」「神子さま……」「神子サマ!」
「「「「お早く結界を……」」」」


その言葉の意味を知らないわけではないだろうに。
しかし、彼らは当然のようにそう言い募る。
例え、それにがどう思おうと。
どう感じようとも。

そんなものは生きることに必死な彼らには届かない。

はうっそりと、酷く面倒臭そうに嘆息した。


「分かっている、と言ったはずよ。それとも、私が姿を消すとでも思っているのかしら?」


軽蔑も露わなの瞳を見て、その場にいた人間は驚きに目を見開いた。
彼女はこの街にとって重要な『神子』の家系だ。
だから、彼女の両親が亡くなった後も、『役目』を放棄したり街に悪意を持たないように何よりも注意して育ててきたし、 今までこんな強い眼差しを浮かべるコトなどただの一度もなかったというのに。
たった一ヶ月結界を張る準備の潔斎の為の場所で生活しただけなのに、はその雰囲気を一変させていたのだった。

それが一人の少年との出会いによることなど、彼らは知らない。


「滅相もございません……」
「どうかしらね。でも、安心して良いわ。結界は張る。そう決めた・・・のよ……」


声はさほどに大きくはない。
けれど、その声はその場にいた人間全てを穿つほどの何かを秘めていた。

と、僅かに代表がたじろいだその時、先ほど目配せした娘が何かを捧げ持ちながら戻ってきた。


「お持ちしました」


ソレは両手の平より少し大きい布の包みだった。
そして、はソレを慎重に受け取り、僅かな笑みを浮かべた。
もちろん、無邪気とは言い難いかった。

三蔵……、私は…………。


「森には入らないコトね」
「重々承知しております」


これからあるヒト・・・・を殺しに行きます……。

彼女は故郷を振り返るコトなく、森の中へと消えていった。







そして、が『神の御休処みやすどころ』に着き、一人瞑想を始める。
が、しかし、儀式のための準備がほぼ終わってほどなくして、其処に何人かの妖怪が現れた。
明らかに何か目的があるのだろう、彼らは統率された動きでを取り囲み、その細い首筋に無骨な刃物を突き付ける。

彼女はそんな彼等を戸惑うコトなく見つめた。
まるで、全てを事前に知っていたかのように。


「其処の女、此処に金髪のガキが来たハズだ。隠さずに教えな」


ある妖怪が凄みながら問いただすと、彼女はその様子にふっと溜め息を洩らす。


「やっぱりもう効き目なくなってたのね、古い方の奴。予想通り」
「何……?」
「……一つ良いコトを教えてあげる。今すぐ此処から消えなさい。
でないと巻き込まれて死ぬ・・・・・・・・だけよ」


言うだけ言って、は己の心に埋没する。
思い浮かぶのは、何故だろう。慣れ親しんだ故郷ではなく、輝くような金色の髪の少年だった。


「何言ってんだ、手前ェ」
「そのままの意味だけど?」
「俺達は金髪のガキの居場所を訊きに来たんだ。ありがたくもねェ忠告なんていらねェんだよ!」
「そう。そう言ってくれると思ってたわ……」


嗚呼、運命なんて信じていなかったけれど。
今なら少し信じても良いかも知れない。


「ガキは何処だ!?」
「確かに、此処にいたわ。金髪の子供」
「ならさっさと……」
「でも……」


街の為に決められた私の行方。
当然の義務。
逃れられない人柱・・


「何処に行ったか私が教えると思うの?」


別に街の為に生きるコトに迷いも疑問もなかった。今だって、ソレはない。


「何だ?抵抗でもしようってのか??」


でも、どうせなら、街以上の存在の為に生きて死にたかった。
そんな時に貴方は来てくれたの。
わたしにとっての太陽ヒカリだったわ。

傍から見たら馬鹿としか言い様がないし、人柱なんて不幸だと思うでしょうね。
でも、私は不幸だと思ったコトはないわ。
だって、自分の死に方を決められたんですもの。

籠の鳥が不幸だって、誰が決めたの?
籠の鳥はどんな時も、自分が不幸だなんて思っていないわ。
彼等には彼等なりの倖せがあるのよ。


「いや、抵抗しても私が死ぬだけね」


一緒には行けない。


「意味が分かんねェな。教えたくないのに抵抗もしないってか?」


だから、せめて。
せめて、貴方の行く道を私が開こう。
邪魔なモノは私の手で取り除こう。

私の命なんかで誰かを救うなんてできないけど。
でも、三蔵の手助け程度はできるのよ?


「ええ――


そして、は妖怪と話しながら、傍らに置いておいたあの包みにそっと手を掛ける。


「そうなるわ」


元々なかった命。
三蔵の為に少しでも役立てたのなら、私は嬉しい。
もちろん、コレはエゴで。錯覚で。自分勝手で迷惑だけど。
全く意味のない行動かも知れないけど。



それでも、街の為じゃなく、三蔵の為だと思って逝くのは許されるでしょう?



「嬲られたいのか?」
「誰だって嫌に決まってるでしょう。馬鹿なの?アンタ等」


怒りに顔を染め自分に飛び掛ってくる妖怪を見て、嘲笑ワラう。



「死に花を咲かせましょう?」



そう言った瞬間、彼女は包みから短剣を素早く取り出した。
驚きに眼を瞠る妖怪だったが、すぐに彼女を八つ裂きにしようと鋭い爪を伸ばす。

がしかし、ソレが届く前に彼女は自らの胸に短剣を突き刺した。


「っ!」


紅い液体で濡れた彼女の身体は妖怪を巻き込んで白い光に包まれる。
は自分を中心に広がる力と、ソレに喰われていく妖怪の命を感じた。
それは命と引き換えの結界。
コレで何十年もこの街の周辺に悪意ある者は入れない。

けれど、彼女にとってそんなコトはどうでも良かった。
三蔵を追う妖怪を自分と一緒に殺すコトができたのだから。


「貴方が『三蔵法師』だからこうするんじゃないの。
貴方が三蔵だからよ?」


後悔はしない。
私は泡沫の恋を貫いたのだから。





彼女は『神子』としてではなく『』として死んでいった。
だが、後に訪れた三蔵がソレを知る由はない。

偶然の産物か、己の為に生きるコトを決意した三蔵と。
己の為に死ぬコトを決意したが再びまみえるコトは終ぞなかった――









―作者のつぶやき♪―

まさかの死にネタですれ違い。
しかし、話考えた瞬間から最後はこうなるって決定済み。
『咲ク』と言いつつ、散ってんじゃんとか言わないこと。
なんていうか、不完全燃焼な感じで若干悔いが残りはしてるんですけど、書いた当時のアレがあるのでそのままアップ。
……この時期の文章、皆長ぇなー。要精進。

以上、『花咲ク時』でした!