その夜、三蔵はと同じ二人部屋で床についていた。
部屋割りについては一悶着あったが、ソレについては語るに及ばない。
そして、彼の予想通り、誰と同室になった時よりも三蔵は穏やかな眠りを取れていた。
がしかし、真夜中を少し過ぎた頃、快適なソレは突然破られた。


ゴツッ……。


即ち、三蔵のベッドが寄せてある壁――隣りの部屋とのしきりが微かな衝撃を伝えてきたのである。
襲撃かと思い愛銃を片手に、眉間の皺を浮き上がらせる。
いつものくせで思わずじっと壁を凝視して息を殺す。


「…………」


しかし、ソレ以降、物音は聞こえてこなかった。
大方、何処ぞの馬鹿猿が最悪の寝相を披露したのだろう。
建て付けがそれほど悪くない宿であっても、あの少年に蹴られれば悲鳴の一つ二つ上げるに決まっている。

不本意にも覚醒を余儀なくされた三蔵は、明朝殺そうと物騒なコトを考えつつ、もう一度布団を被った。
するとその時、音が。


「……ぅ…………」


声が。


「………ぅぁ……っ」


聞こえた。
ソレは小さな小さな嗚咽の様で。


酷く耳障りな位、心に響く……。


多少気を引かれた三蔵は慎重にのベッドに近づいてみる。
灯りはなく、月の光を頼りに。

暗闇に慣れた眼には、ぼんやりとだが仰向けに寝る彼女の姿が映った。
と、まだ大して近付いてもいない状態だったにも関わらず、の長い睫に縁取られた瞳が開かれた。


「ぁ……。三、蔵様?」


そう小さく呟いたはゆっくりとベッドから身体を起こした。
少し……驚いた風だったのは、多分気のせいではないだろう。

そして、当人が起きた為に遠慮する必然性のなくなった三蔵はズカズカと彼女に近付き、言った。



「……泣くような何を見た」



見つめる先にあったのは、透明な雫。
は、応えない。


「何を見て、泣いている」


普段のは人前で泣こうとしない。
他に誰かがいるような場所では絶対に。
それなのに、今彼女の頬を濡らしているのはソレ以外の何者でもなくて……。


「答えろ」


三蔵は繰り返し問いながら、彼女のベッドに腰掛けた。
背中を向けたのは、優しさか、厳しさか。
恐らく、どちらでもあるだろう。

すると、はしばらく黙っていたが、そっと口を開いた。


「何でも、ありません……」
「何処がだ。何でもないと抜かすなら、それ相応の表情カオをしろ」


実際は、其処まで細かな表情など分からないのだけれど。
コイツは情けない表情カオで、泣けない表情カオで、笑おうと無駄な努力をしているだろうから。


「鬱陶しいんだよ。馬鹿が」


ぶっきらぼうで突き放した、でも何故か優しく聞こえるその言葉に、は小さく苦笑した。







「哀しい、夢を見ました……」


ベッドサイドの灯りを灯し、ソレに照らされながらはそう語り出した。
三蔵からは彼女がどんな表情をしているかも何も分からない。
は三蔵の広い背中を見つめた。



「私は……」


ただただ、無言で彼女の話に耳を傾けた。


「私は宿屋の中にいて、でも他には誰もいなくて。あちこちの部屋を見て回るんです。
そうしたら、しばらくすると、不意に私の心の中の声が聞こえるんです。夢の中の私が、思うんです……。

『嗚呼、やっぱり……』」


―――ミンナハ、イナインダ。


確信して、分かりきったコトを呟くように。
は言った。


「ソレがただ、哀しくて……気がつけば泣いていました」


その夢が意味するのはいつかの自分。

ありえない別離と、孤独に対する恐怖が見せた幻。
ありえる別れと、ひとりぼっちな自分の未来の姿。

いつかは別れなきゃいけない、そんなコトは分かっていたし、知っていた。
誰もが自分自身の道を歩んでいくコトは分かっているし、知っている。
でも。

それなら私は何処へ向かえば良いんだろうか……。

長い長い、屍と鮮血の作る道に抱くのは不安でしかないというのに。
決して、ソレ以外の道は選ぶコトがないというのに。
がそんなコトを考え沈黙し始めると、三蔵は少し間を置いてからようやく口を開いた。


「……フン。くだらねェ」
「あはは。三蔵様ならそう言うと思いました」


そして、懐からマルボロを取り出して火をつけると、ソレを口元に運ぶ。
が見る背は、やはり大きかった。


「……
「はい?」
「手前ェの目の前には何がある?」


紫煙と共に吐き出されたその唐突な言葉に、は訝しげな視線を返した。

目の前にあるモノ……?

すると、応えないに三蔵は再度言葉を紡ぐ。 



「手前ェの目の前には誰がいる」



何の感慨も含んでいないハズのその声に、の奥で明かりが点いた気がした。


「……三蔵様?」
「くだらねェ夢なんぞ見てんじゃねェよ。お前の周りには喧しい連中が寄ってくるだろうが」


何も言えないを振り返るコトなく、三蔵は傍らに置いておいた灰皿に煙草を押し付けた。
そして、そのまま立ち上がる。
去って行く背中は、こう言った。


「あれだけ騒がしい馬鹿共を忘れられる馬鹿は手前ェ位だ」







「……まいったなぁ」



――だから、好きだっていうんですよ。



口元が、弧を描く。









―作者のつぶやき♪―

act.Kには珍しい桃源郷設定。
っていうか、今はなき連載設定。
書いている内に、「あれ?ぶっちゃけ三蔵一行いらなくね?」と一次創作へ変更してたり。
しかし、あれだ。これは果たして夢なのだろうか?