月光を浴びて、一人酒を嗜むその姿は、

儚い夢の幻か、
淡い夜の化身のように見えた――……。






月見酒





「……姉、ちゃ…………?」


ふと目を覚ましてしまった悟空は、こっそりと部屋を抜け出した。

真夜中と呼ぶには少し早く、夜と言うには遅すぎる時間帯の野原。
彼は、其処の小さな岩の上に乗って、月を見上げるを見つけた。
それはあまりに美しく。
泣きたくなるほどに、ひとりぼっちに見える情景だった。
一瞬、悟空はそれが己の知る人物ではないのではないか、と声をかけるのを躊躇う。

自分の知るは、果たしてあんなに小さなヒトだっただろうか。
柔らかく包み込んでくれるようないつもの暖かさが感じられない。
分かるのは、その驚くほど儚い背中のみ……。

がしかし。いつもと違う彼女の様相に戸惑いながらも、悟空はに声を掛ける。
まるで、そうすることが彼女を繋ぎ止める唯一の手段のように。
すると、彼女は微笑を浮かべて、普段と変わらない雰囲気を瞬時に生み出した。


「悟空じゃないか。どうした?こんな時間に、こんな場所で会うとは思わなかったよ」


朗らかなその空気に、悟空はほっと、安堵の息を洩らした。


「……ビックリしたァー」
「……悟空、質問には応えてくれないか?」


少々呆れた様子で、彼女は今まで手にしていた猪口を置いた。
もう、何処から見ても、先程の胸を締め付けられるような哀愁はなくなっていた。
そして、それを確認したところで、ようやく悟空は笑顔を見せながらに駆け寄った。


「うーんとな?なんか目が覚めちゃって……、寝らんなかったから抜け出してきた!」
「そうか。じゃあ、何に『ビックリした』んだ?」


優しい優しい、乱雑な男たちには到底できないような問いかけ。
悟空はその問いに一瞬キョトンとしたが、すぐに恥ずかしそうに頬を掻いた。


「なんか、さ……。姉ちゃんが『かぐや姫』みたいで―――……」



―――まるで、今にも消えてしまいそうだった。



その一言を飲み込んで、悟空はに視線を戻した。
彼女は少し驚いた顔をしつつも苦笑して、悟空を手招きした。
素直に彼がすぐ近くにくると、はすっぽりと腕の中に小さな少年を閉じ込める。 
その、温かなぬくもりに、間違いようのない微笑が浮かんだ。


「フフフ……。私がかぐや姫か」
「嫌だった?」
「まさか。でも、どうして悟空はそう思ったんだ?」
「え?だって姉ちゃん、いつもの白い服着てないし、髪縛ってないし、口とか紅いし……」


にくっつきながら、悟空は困ったようにそう言った。
確かに、はいつも無造作に長い髪を束ね、白衣姿ばかりの人間である。
その彼女が正装をして、薄くではあるが化粧まで施しているのだから、別人のように感じても無理はないだろう。
がしかし、


「ひょっとして、姉ちゃん具合でも悪いのか?天ちゃん呼んで来る??」


コレには、流石のも苦笑した。


「いや、コレは化粧をしているだけだ。別に具合は悪くないよ?」
「ふーん……?でも、なんでいつもの格好じゃないんだ??」
「昼、だったかな。突然、天帝バカが熱を出したらしくてね。呼ばれたんだ」


天帝専属の医師でもある彼女は、呼び出しが多々ある。
ほどの腕を持つ者は、恐らくこの天界にはいない。
中には、天帝のお気に入りとして高い地位にある彼女を妬んで、彼の妾ではないかという下らない噂もあるが、当のは全く気に止めなかった。

自分がこの下らない世界に留まっているのは、同じ考えを持って、今を生きている彼らがいるから。
こんな場所でも楽しめる友がいるから。



だから、自分が此処天界を見限る時は―――……



姉ちゃん?どうかしたのか??」


ぼんやりと、自分の考えに埋没していた彼女を現実に戻したのは、不安そうな瞳を揺らす世にも綺麗な少年だった。


「ああ、すまない。ちょっと考え事をしていたんだ」


苦笑をするを、悟空はどこか腑に落ちない表情で見つめる。
悟空は、がこうして自分を抱きしめてくれるのが好きだった。
以前、天蓬が『お母さん』とは、こんな人を言うのだと教えてくれたからだ。
暖かくて、見守ってくれて……。
どこまでも、どこまでも自分に優しい人。



だから、悟空は彼女に笑っていてほしいと思った。



それは、初恋などとは無縁の、どこまでも柔らかい愛情。
ひたむきに母を慕う子どものように。
悟空は目の前の女性の倖せを祈る。

そっと、の様子を窺ってみると、彼女は月を見上げていた。
それは、綺麗な満月だった……。


「お月見してたのか??」
「ああ……。まるで金蝉のようだからな」


ふと洩らしたその呟きは、悟空の耳にも当然聞こえ、彼は不思議そうに声を上げた。


「そうかなァー?金蝉は『たいよう』だと思う!」



―――なんか、傍にいるとあったけェんだ。



そう、得意げに話す彼を見て、は眩しいモノでも見るように眼を細めた。
いや、実際に眩しかったのかも知れない。
その瞳には哀しげな憧憬が見て取れた。

誰よりも、『綺麗』なままの存在。
汚れた自分には、眩しすぎるほどの。
なぜ、生まれが珍しいだけで、『異端者』とされなければならない?
本当に異端なのは、



己達だろう?



は、天界の決めたそれが解らず、また、解りたくもなかった。


「そうか……。悟空は金蝉が本当に好きなんだな」
「うーん多分……好き!でも、姉ちゃんもケン兄ちゃんも天ちゃんも、それに姉ちゃんも好き!!」


その言葉に、は心底嬉しそうな表情で笑った。
そして、二人は月を見続ける。
大きすぎず、小さすぎず。
淡い光で地上を照らす、その月を……。







金蝉が悟空を探し始めてから少し経って、彼はの腕の中で幸せそうに寝息を立てている悟空を見つけた。


「動物、か……」


呆れ気味の声を出した金蝉の息はかなり上がっていた。
それだけ悟空を心配していたのだろう。
まァ、ソレを本人は自覚していないが。

その様子に微笑を浮かべたは、金蝉の背に悟空を乗せた。


「……時には、人肌が恋しくなるコトもございますよ。時々、添い寝してあげるのも宜しいんじゃありませんか?」
「……喧嘩売ってんのか?」
「いえ、とんでもない。寧ろ羨ましいです」


それは、多分心からの言葉。


「ノシ付けてくれてやる」
「あー、ソレは無理ですね」


怜はそっと悟空の髪を梳いた。
壊れ物を扱うように、宝物に触るように。
その優しくも哀しい眼差しに、金蝉は驚く。


「……オイ?」
「私では……」


がしかし、金蝉の言葉を遮って発せられた何かがそれ以上言葉になるコトはなく、彼女は苦笑して首を振った。


「……何でもない」


訝む金蝉に背を向け、は歩き出した。
彼は首を傾げたが、本人が言わなかったのだからと、大して気にも止めずに自室へと向かう。

だから、おそらく彼には聞こえなかっただろう。
の小さな小さな呟きは、すぐに闇に溶けてしまったのだから……。



―――私では、悟空の『たいよう』にはなれないよ。







「悟空は金蝉を『たいよう』だと言った。でも、私には悟空の方が太陽に見えるよ。
月はさしずめ金蝉で、この星がと言った処だろうか……?」


太陽は月を見出し、月はこの星を求める。


太陽よ。月を輝かせておくれ。
月は貴方の全てを受け止めてくれるから。

月よ。この星を見守っておくれ。
この星は貴方を孤独にはしないから。

嗚呼、私には眩しすぎる。

私は闇だから。
貴方達が輝く為の闇でいい。
貴方達の傍にいられる闇がいい。

ただ見届けさせておくれ。
運命の輪が廻り続ける、その間は―――……










―作者のつぶやき♪―

はい、過去の倉庫からひっぱり出してきたチビ悟空夢です。
本当は天界の連載のヒロインさんと悟空とのあるひととき、だったんですが。
ええ、まぁ、連載がお蔵入りして日の目を見ることがなさそうなので。
とりあえず、アンケートで下位の悟空頑張れの意味を込めまして。
嗚呼、ぶっちゃけ、悟空の短編ストックがなくなった気が。まぁ、いいか。

以上、お題【き 絆】で『月見酒』でした!
ちなみに、このお話にはオチがあります。
ヘタレた金蝉が見たい方はLET'Sスクロール。
ただし、今のままのしんみりシリアスな空気を保ちたい方、金蝉は格好良くなきゃ駄目!という方は止めましょうv







―数分後―


金蝉と別れたはふと、彼らに挨拶をし忘れていたコトに気付いた。
もう流石に見えなくなってしまっているかもしれない、と思いつつ、彼女はゆっくりと後ろを振り返る。 すると。


「……何してるんだ??」


なんと、さっき彼女が見たままの状態で金蝉は立っていたのだった。
不思議に思ったが近づいてみると、金蝉はぎこちない動作で彼女を振り返った。


「何をしていらっしゃるんです?」
「煩い!手前ェはさっさと帰れっっ!!」


全く余裕のない表情カオの金蝉に気圧されながらよくよく見てみると、彼の身体全体が酷く震えていた。
具合でも悪いのだろうか?
冷や汗も掻いているようだし。
金蝉がおぼっちゃん育ちで、あまり丈夫でないことは仕事柄把握している。
もしや、連日の過労が祟っているのかもしれない。
まったく。仕事しろ、菩薩。

まさか病人に子供を背負わせておくワケにもいかないので、はすっと悟空に向かって手を伸ばした。
が、ソレがマズかった。


「悟空は私が連れて行きますよ」
「ばっ!?触るなっ!」
「は?」


が触れたのをきっかけに、危うい処で保たれていたバランスが一気に崩れた。

そう。金蝉は動かなかったのではない。動きたくとも出来なかった・・・・・・・・・・・・・のだ。
悟空に付けられた80Kgほどの枷+悟空本人の重さで。
の前だからと言って見栄を張ってみたのだが、いかんせん無理はいけないらしい。
元々、悟空約100キロを背負うなど、一応軍人であるや捲簾と違い、温室育ちの純粋培養の彼には不可能な行為だった。

そして。



優雅にも潰された金蝉。



ソレを見たは大爆笑を禁じえなかった。


「プッ。ククク……。あーっはっはっは!」







その後、金蝉と同じように悟空を探していたが見つけたのは、

笑いすぎて声が出ない状態でも腹を抱えて肩を振るわせる尊敬すべき姉と。
悟空を背中に乗せて焦点、もといぶっ倒れている金蝉と。
そんな騒動も露知らず昏々と眠り続けている悟空という世にも奇妙な三人組だった。





嗚呼、ヘタレ……。