Sleeping Beauty 後編 長い遠征の後、捲簾は宴の席を抜け出し、あの桜へと向かった。 がしかし、いつものようには其処で寝ていなかった。 いつもならば、絶対、捲簾が行くと彼女は笑って出迎えてくれたのに……。 「いねェ、のか……?」 そのコトに首を傾げつつ、捲簾は大して気にも止めず、一人で桜を見上げて待つコトにした。 がしかし、其処でようやく、気付いた。 いつもと何かが違ったから。 あちこちの枝が枯れているコトに。 華が散り始めているコトに。 そして、捲簾が驚いて眼を瞠ると、彼の瞳は視界の隅に淡い空色を捕らえた。 「?」 少し声を上げて彼女を呼ぶと、ソレに応えて小さな声が聞こえてきた。 「お帰りなさい……。捲簾」 ふわりと音もなく降りてきたは、血の気のない白い顔をし、捲簾と最後に逢った時よりもかなり痩せて見えた。 驚いた捲簾はすぐに彼女に駆け寄り、その細い肩を掴んだ。 「オイッ!?どうしたんだよ!!?」 「良かった。間に合って……」 微かに呟く彼女の声は、普段なら考えられないほどに弱々しかった。 「お前、病気か何かなのか!?」 「ええ、まァ。そんなモノですわ。だからこれからはしばらく逢えなくなりますの。ソレで……」 「そんなコト言いにわざわざ来たのか!?」 「大事な、コトでしょう?」 「馬鹿か!早く戻って寝てろ!!」 そして、今にも倒れてしまいそうなを見て、捲簾はすぐに送って行こうとした。 がしかし、そんな彼を押し戻し、は首を横に振った。 ソレは、柔らかい拒絶の仕草。 「今も、かなり無理をして外に出てきましたの。どうしてもコレだけは言おうと思って……」 言葉を続けながら、は精一杯の笑顔を見せた。 「ワタクシ、お友達がほとんどいませんでしたの。ずっとずっと、独りぼっちで……。 でも、捲簾と話せて……。貴方とのおしゃべりはとても楽しかったですわ。 これからはもう……話せないかもしれないけど…………」 ソレを見て、捲簾は何も言えなくなってしまった。 どうして、そんな表情で微笑うんだ。 そんな表情が見たいワケじゃないのに……。 「ワタクシ忘れませんから」 「……」 「さよならは言いませんわ。また逢える気がしますもの……。じゃあ……」 そう言って、は軽い足音を響かせて走り出した。 さっきまでの様子から考えられないその行動に思わず引き止めてしまいそうになる。 がしかし、捲簾はソレをせず、ただ黙って細い背中を見届けた。 駆け去って行く彼女に何か言うコトも、追いかけるコトすらも出来なかった。 彼女が別れを哀しみ、また、望んでいたから……。 ―――コレが、二人の別れ。 ソレ以来、は本当に桜の下に来なくなった。 しかし、捲簾は暇さえあれば其処へ向かった。 淡い期待があったのかもしれないし、日課になってしまったのかもしれない。 気が付くと其処までの道のりを歩いていて、彼女のコトを考えているのだ。 そんな日が何日か続いたある日、捲簾はあまりの陽気の良さに惹かれ、浅いまどろみの中に入っていった。 そして、目が覚めると辺りは酷く暗く、かなりの時間寝入ってしまっていたコトに気付いた。 いい加減帰ろうかと腰を浮かせたその時、背後にふと気配を感じた。 「全く、呆れたヒトですわね。レディーの安眠妨害までするなんて」 朗々と聞こえてきたその声は、その声の持ち主は……。 「ちゃんとお別れしたつもりでしたのに。未練がましいって言われても仕方がありませんわよ?」 「……!?」 慌てて後ろを振り返ると、薄紅色の着物を着て、何処か呆れた表情のが立っていた。 「まァ、おかげで少しなら話せますけど」 「、お前身体は大丈夫なのか?」 「今の状態なら、まだ大丈夫ですわ。此処ならワタクシは疲労も少ないでしょうし」 心底心配してくれている捲簾に、は嬉しそうに微笑んだ。 何よりこうして話が出来るコトが倖せなのだ、とでも言うように。 「で、何の用ですの?まさか、ソレだけを訊きにいらしたワケじゃないでしょう??」 大きな瞳を真っ直ぐに捲簾に向け、彼女はそう問い掛けた。 その言葉に、彼は一瞬だけ『何者なのか?』という質問を思い浮かべたが、即座にソレを打ち消す。 「いんや、ソレだけだゼ?まァ、敢えて言うなら何時また逢えるかっつーコトくらい?」 言ってしまえば、この空間が壊れてしまいそうで……言えなかった。 もっと一緒にいたかったとも言えるだろう。 すると、はそんな捲簾の気持ちを知ってか知らずか、溜め息を吐きつつ、肩を竦めた。 「そうですわね……。こうしてお話できるようになるにはしばらくかかりますわ」 「なっ!?そんなに悪いのか、お前!!?」 「悪いというか、何というか……。決まり事がありますのよ」 「決まり事……?」 「もうそろそろ寝なきゃいけない時間ですわ……」 淋しそうに、切なそうにがそう言うと、捲簾は今にも消えてしまいそうな彼女の肩を掴んだ。 「待てよ!話せなくても、ニ度と逢えないなんてコトねェよな!?」 話せなくても良いから。 それでも、の様子が知りたい。 元気かどうか、知りたい。 自分でも無茶を言っているな、と捲簾が思っていると、はにっこりと内緒話でもするかのような笑顔を浮かべた。 「『逢う』とは少し違いますけど……」 「何かあるのか?」 「いつも通り此処に来てお話して下さいます? そうすれば、ソレはワタクシに聞こえますし、貴方にもワタクシの様子がきっと分かりますわ」 どういう意味かと問う前に、捲簾は酷く安心している自分を見つけた。 最後に逢った時の、彼女の儚い姿が忘れられなかったから。 だから、元気そうないつもの彼女が嬉しかった。 結局、自分はソレが気になっていたんだ、と今気付いた。 すると、捲簾が言葉を発しようとしたその時、凄まじいほどの桜吹雪が巻き起こり、突然に捲簾の視界は薄紅に染まった。 思わず腕で眼を庇っていると、全くソレを気にも留めていないようなの声が聞こえた。 「さァ、もうお帰りの時間ですわよ?貴方はワタクシとは反対に目覚めなければいけないのだから……」 彼女がそう言った瞬間、捲簾は自分に現実感がなくなっていくのを感じた。 まるで、自分の身体が自分じゃないような。 夢の中にいるような奇妙な感覚。 「、お前まさか……っ」 半ば無意識にの方へ手を伸ばす捲簾。 がしかし、彼の手は彼女には届かず、ただ空を切るのみだった。 ―――コンドコソ、オヤスミナサイ。 そう言ったの口元が、笑みを浮かべているのが見えた気がした……。 「よォ、天蓬。何か用か?」 捲簾は例の桜の木の下で、何処からか取ってきた仙酒を飲んでいた。 そして、すぐ傍までやってきた自分の副官に、軽く手を上げて応える……。 「いいえ。僕もサボリみたいなモノですから、気にしないで下さい」 「良いのか、ソレで」 機嫌良く酒を飲んでいる彼に、天蓬はたった今気付いたかのように質問を投げかけた。 「捲簾、一つ訊いて良いですか?」 「何だよ?」 「どうして貴方はこんな処で飲んでいるんです?」 「ハァ?何言ってんだ、お前??」 「だって、他にも綺麗な処があるでしょう?こんな枯れた木の下じゃなくても……」 すると、捲簾は酷く可笑しそうに笑って桜を見上げた。 そしてその時、天蓬は彼の瞳が一瞬薄紅に染まり、柔らかく細まっていたように感じた。 「枯れてんじゃねェよ。眠ってんの」 「ハイ?」 「なァ……?」 ―――――…。 桜が、僅かに枝を揺らす……。 そんな花吹雪の中、彼女は眠っていた。 そして今でも……。 オレの桜の君は此処に……。
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