桜が、僅かに枝を揺らす……。
そんな花吹雪の中、彼女は眠っていた。






Sleeping Beauty 前編






「あら、またいらっしゃいましたのね」


樹齢何千年かも判らないほどの桜の巨木の根元。
其処に座り込んだ女性は、手を振って近づいてくる男――捲簾に微笑みかけた。


チャンに逢いたくてv」
「まァ、ご苦労様ですわ」


、と名乗るこの美女が捲簾の前に現れたのは、もう2、3ヶ月も前のコトだ。
最近では淡い空色の着物が多くなってしまったが、以前の此処に相応しい薄紅色の着物もよく似合う女性だった。

ある日、捲簾がいつも通りサボリで花見をしようとした処、この1本だけ離れて植わっていた桜が目に入った。
同時に、其処で寝ていたのコトも。


『なァ、お姉さん。こんなトコで無防備に寝てっと危ねェゾー?』
『…………』
『オーイ、起きろって!』

『……煩いですわね』
『お、起きた起きたv美人なお姉さん、こんなトコにいたら風邪引くし、危ねェゼ?』
『……そうなんですの?』
『まァな』

『それでご親切に起こして下さりやがったんですのねv』



初めての会話はこんな感じだった。
変わった女。
ソレが彼女の第一印象。
けど、どうしてだか、なんて面白い奴だろうと思いもした。

そして、ソレ以来、今まで会わなかったコトが嘘のように、と捲簾はよく逢って話をした。
決まっての方が先に来て眠っていて、捲簾が来るとゆっくり起き上がって微笑む。
その、繰り返し。
色恋沙汰ではないが、酷く心地好い時間。
ただ、他愛のない話をして、桜を見上げているだけ……。
二人共、あまりお互いのコトは話さなかった。
そう、例えばどんな仕事をしているとか、そういうコトを。

不思議な女性だと思う。
此処以外では、その姿も噂もないのだから。
ひょっとすると、何処かの御息女とか、そんなモノなのかもしれない。
がしかし、捲簾はなんとなく、彼女が何者なのか訊かないでいた。







と逢った次の日、捲簾は天蓬の自室に来ていた。
もちろん、するコトはただ一つ、掃除だ。
こんなコトをしていると、自分は本当に軍大将か?と頭を掠めるが、仕方がない。

そして、面倒臭そうに、だが意外ときちんと本を棚に戻しながら、捲簾は天蓬の話に耳を傾けた。


「……というワケで、今回の遠征は長引きそうです」


にっこりとそう言い切った彼に、捲簾は軽い殺意を抱きそうになった。
何でこの男は、人がわざわざ片付けなんてモノをしに来てやっているのに、そう嫌なコトを言うのだろうか。

捲簾が此処にいるのは、彼の頼み……ではなく、部下の頼みだった。
以前、この部屋に天蓬を探しに来た男で、本の下敷きになったんだとか。
だから、しぶしぶこんなコトをしているというのに聞きたくもない話をされて、捲簾はあからさまに不機嫌な声を上げた。


「ハァー?ったく面倒臭ェな。愛しのチャンに逢えねェじゃん」


すると、その名前を聞き逃さなかった天蓬は、溜め息交じりに呟いた。


「……最近、ただでさえ酷いサボリ癖が悪化した原因はやっぱりソレですか」
「だから、悪いって」


頭を掻きながらそんな風に謝る彼に苦笑しつつ、天蓬はふと気になったコトを尋ねてみた。


「そういえば、どんな方なんです?」
「あぁ?」
「貴方が特定の誰かとこんなに長く続くのって珍しいじゃないですか」
「あのな、とオレはそんなんじゃねェの」
「どういう意味ですか?」
「確かに、イイオンナだゼ?オレの桜の君は。でも、どっちかってーと、話友達なワケ」

「それこそ、本当に珍しいですよ」


コレは『愛』だとか『恋』だとかいうモノとは違う気がする、そう捲簾は心の中で呟いた。

焦がれるような衝動はない。
激情なんて、欠片もない。
ただ、傍にいると心地好いだけ。

それが彼女が持つ不思議な雰囲気によるモノかは分からないけれど……。



逢いたい。



不意に黙り込んでしまった捲簾を見て、天蓬は僅かに眼を細めた。
がしかし、すぐにいつもと同じ笑みを浮かべ、自らが散らかした本を棚に戻していく……。

大切な友人だから、倖せになって欲しいし、応援もしてあげたい。
それなのに、この漠然とした不安はどうかしている……。
もしかしたら、コレは大切な友人を取られるという、子供じみた不安なのだろうか……?そうだったら、良いけれど。

すると、そんなコトを考え始めた天蓬と反対に、捲簾は意識を浮上させた。


「今度逢ったら、しばらく逢えないって言っとかねェとな……」


無意識の内の呟きは、切ないほどに小さなモノだった。







遠征の一日前、捲簾が例の桜の処へ行くと、は彼に眼もくれずに桜に見入っていた。
こんなコトは初めてだった。


「来て下さって嬉しいですわ」


くるりと捲簾と向き合う彼女の瞳は何処か曇っていて、笑みも儚げだった。


「……?」


思わず訝しげに彼女の名前を呼んだが、彼女はソレを聞き流した。


「捲簾はこの桜の話、ご存知?」
「いや……、何かあるのか?」
「ええ。この木は願いを叶えてくれると言われてますの」


愛しそうに幹を撫でるは、何かを思い出すように瞳を閉じた。


「願い……?」
「そう。天帝もこの木に願っていましたわ。『公主の病を治して欲しい』と……」
「願いなんつーモンは自分の力で叶えるモンだろ」


願いがこんな木によって、何でも叶うハズはないだろう。
そんなコトがあったら、誰かが努力する意味も、結果に喜び、嘆くコトもなくなるのだから……。

あくまで静かに語る彼女の意図が、捲簾にはよく分からなかった。


「クス。捲簾の場合はそうかも知れませんわね。でも、願わずにはいられない、そんな場合もありますわ」
「……はその話、信じてるのか?」
「……この木は『手助け』を少ししているだけだと思いますの」
「『手助け』?」

「努力して、足掻いて……。出来るコトをしつくしてまだも不安なヒトはいますわよね?
この木自体には願いを叶える力なんてありませんわ。ただ、不安を少しでも取り除くだけで……」


そして、はフッと笑みを溢して、「捲簾にだって少しはそういう処、あるでしょう?」と言った。
其処には、先程の憂いはもうなかった。


「……どうだろうな。でも、この桜は好きだ。ソレで良いんじゃねェか?」
「そうですわね」


二人の間に穏やかな空気が流れている……。
すると、そんな中、桜の木を見上げながら、捲簾がふと口を開いた。


「……そういえば、天帝がこんな処に来たの、何で知ってるんだ?」
「……小耳に挟んだだけですわ」


意味深な笑みと共に発せられたその言葉に、捲簾は少し脱力し桜の根元に座り込んだ。


「どんな小耳だよ……」
「あら?何か文句ありまして??」
「イイエ、ベツニ。……で?結局その公主様っつーのは治ったのか?」
「……どうして、ワタクシに訊きますの?」
「小耳とやらの情報にないかと思ってな」


愉しげにそう言った捲簾は桜を見ていたせいで、その時のの表情が見えなかった。


「彼女のコトはよく知ってますわ。昔から身体が弱いけれど、此処でよく遊んでらっしゃいましたもの。
ワタクシにもよく声を掛けてくれて、最近では少しづつですけど、回復に向かっていると御本人がおっしゃってましたわ」
「へェー。美人?」
「興味がおありですの?」
「そりゃー、イイオンナならな」


仙酒を飲みながら、捲簾は笑う。
そんな彼を見て、は何処かが抉られたかのような痛みを覚えた。
全てを、確信しているからだろうか……。

捲簾がから視線を外している時、彼女が今にも泣きそうな表情をしていたのを、彼は知らない。
知っていれば、遠征になんて行かなかっただろうに……。





普通の神なら良かったのに。
そうすれば……。
もっと貴方と話していられた……。